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神は罰を与えない

この前のブログで怪我をしたことを書きました。
今回の怪我で改めて気づいたことです。

それは、「神は罰を与えない」ということです。

僕自身、小さな頃から

「神さんはいつもお前を見てて、悪い子としたらバチ(罰)が当たるからな」

という風に育てられてきました。
両親も僕も一つの宗教に傾倒して、信心しているわけではないので、
悪いことをしないように牽制のために言ってたんだと思うんです。

ただ、その教えって結構意識の深くまで残ってて、
自分が理性的に行動させるためのルールになってたみたいなんですね。

で、今回の怪我でどうして「神は罰を与えない」と気づいたのか。
僕、木を切っているときに「ここまで成長したのにごめんな」とか
「申し訳ないけど切らせてもらうわ」みたいな罪悪感を持っていたんですね。
この罪悪感という感情が、波動となって広がって、
肉体に物理的に怪我をするという「罪滅ぼし的な結果」となった
んです。

冷静に考えれば、あらゆるものを創造し、許す存在である神が、
心狭く罰を与えるはずがない。

罰を与えたのは、他でもない自分自身だったんです。

ですから、もし「自分はいつも不幸だ」などと思っている人が居たら、
自分がなにかに罪悪感を持っていないかということを考えてみてください。
その罪悪感を抱く必要がありますか?
そんなときは胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸して
レイキとともにその罪悪感を流していきましょう。

自分で自分に罰を与えることはもうやめましょう。
神は罰を与えることはありません。

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