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育児とキャリアについて思うこと

 

子供を持とうと決めたきっかけ


 自分は子供を持つ前は徹夜、タクシー帰りが当たり前の職場環境であった。

 仕事は順調で、顧客も徐々についてきた段階であった。

 そのままの働き方を続ければ、事務所のパートナー(共同経営者)となる可能性もそれなりにあった。

 でも、なぜその目前で子供を持つ決断をしたのか。

 元々子供を持つかについて決めていたわけではなかった。

 結婚しても夫は子供を欲しいとは一言も言わず、作らなくても良いといったスタンスだった。


 

2種類の知らせ



アラサーになって、周囲から2種類の封書が届くようになった。

 1つは、学生時代や修習時代の友人からの結婚報告や出産報告のはがきである。

 もう1つは、それぞれの事務所でパートナーに就任した、事務所を独立したという同業者からの封書である。

 この2つの知らせを前に、自分として、よりうらやましいと思ったのが、前者の子供出産報告であったのだ。

 このときの自分の感覚は今でも覚えている。


 深夜、1人マンションエントランスのポスト前に佇む自分。

 手の中にある2つの知らせ。 

 自分でも意外だったが、自らの深層心理に触れた瞬間だった。

 羨ましいと思うもの = 自分も欲しいもの 

 どこかで聞いたうな言葉に、自分もそうなのかと問いかける。

 理屈ではなく、感覚であった。

 自分は子供がほしい とたしかに感じているようだった。

 これは人によって本当に異なるのではないかと思う。

 また前回記事で書いたが、育児についてあまりわかっていなかったこともあるかも知れない。


両立挫折からの新たな境地

 私の所属していた事務所の仕事は、たいていの弁護士がそうだとは思うが、長時間労働で依頼者に都合を合わせなければならず、緊急性もある。

 子供優先となると、戦力として十分でないことは否めない。

 必死に両立しようとしたが、そのしわ寄せは子供にいってしまった気がしている。


 一旦保育園に迎えに行き、子連れで事務所に戻ったこともあった。

 現在は、忙しかった職場を離れ余裕のある働き方をしている。

 キャリアとしては、そのままの働き方を続けた同期と比べて見劣りすることは否めない。

 はじめはその状況になかなか慣れなかったが、2年ほどしてある程度マイペースで仕事ができることが心地よくなってきた。

 以前は健康も趣味も休日も犠牲にしていたし、子供が小さいときは自分の時間がなかった。

 でも今は、自分の勉強も出来る、趣味も出来る、朝ヨガをしてから仕事に取り掛かれる、子供にもある程度目をかけられる。

 こんな平穏な日々が待っていたとは…。

 子どもの受験や気掛かりなことはもちろんあるが、そういう葛藤を経て今は以前よりも心が軽く生きていられる。心のままに生きられている。

 競争社会に入る前の小学校くらいまでの自分に戻ったかのように、やりたいことが次々と出てきて、今後長期的に取り組んでいこうとわくわくしているところである。

 何か社会に貢献できたら良いな、あの小学生の頃の純粋な気持ちで。

 子供の頃の自分と一緒に生きてる感覚なのだ。

 もちろん弁護士業も長期戦のところがあって、自分の案件についてはやるときはしっかり対応したいが、沢山の事件を受けたいとは思わない。

 個別案件の解決も重要だけど、同時に自分の興味のある分野で社会貢献したいな、と。


 これについては具体的行動に出た後に書きたいと思う。


 

まとめ


 事務所(会社)におけるキャリアにとって、育児は確かにマイナスな部分がまだまだ多いと思う。自分も実際そうだった。

 でも育児で制限が出ることで歩み始めた道は、もしかしたら新たなキャリアの入り口かもしれない。

 もちろん子供の手が離れないうちは鈍牛の歩みの準備期間にはなる。

 
 私の場合、産後になって、小さい頃からの親との関係やら、自分の不完全さばかりに目が行き、何年も落ち込んだ。しかし、これによって膿を出せたのか、自分の傾向がよくわかったのか、今はスッキリ軽くなった。

 その後、幾つもやりたいことが出てきた。
 一つ一つ試しながら、あるいは繋げながら、何も成し遂げられなくても、自分の信じる道を行って老いていけたらそれで満ち足りた人生になると実感できた。

 キャリアをどのように積むのかは人それぞれだけれども、皆自分の感覚に従って選んで欲しいと思う。

  長文読んで下さりありがとうございました🌹

 

 

 


 


 

 





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