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【子なし夫婦 or  子どもを持つか】

先日、別の事務所に所属する、30代後半の後輩既婚女性から相談を受けた。

妊娠するリミットも近づく一方、キャリアにおいても重要な時期に入っており、上から重要なプロジェクトの主任を任されていて、子供を持つか葛藤しているというのだ。

私自身は、2人の子供がいるが、2人目妊娠に伴い、数年休業しており、キャリアとしては中断している。

だから、私のような子供を持ったケースの実情を聞きたいということなのだろう。

そこで、今のところの、自分の子育て苦労話とよかったことについて書いてみたいと思う。

子育て苦労話

今思うと、子供を持つ前は、おそらく、ペットの世話が少し大変になるくらいの漠然としたイメージしかとらえておらず、極めて育児をなめていた(だから産めたのかもしれないが。)。

しかし、産まれた第一子息子は、よく言われるように背中にスイッチがついているタイプの子で、昼間ずっと抱っこしていないとぎゃん泣きし、完母だったこともあり、半年くらいは家で裸族(上半身裸に近い状態)だった。

もちろん、新聞や本を読む時間はなく、これなら女子刑務所の方がよいではないか(刑務所は読書の時間がある)と思った。

息子を布団の上に置いてしまうと泣いてしまうため、なかなかトイレに行けず、膀胱炎に度々なってしまった。

一時保育やベビーシッターも利用したが、焼け石に水であった。
預けても息子のギャン泣きから罪悪感にさいなまれ、足は遠のいた。

でも、本音では、1日でいいからゆっくり夜寝たいよ。誰か1日、夜預かってと心は叫んでいた。夜泣きがひどいというわけではなかったが、頻回授乳だった。

両親も手伝いに来てくれ、助かってはいたのだが、両親の時代の育児感を押し付けてくる部分もあった。”母親たるものこうあるべき”の基準が高く、休める雰囲気にはならなかった。それに抗う気力もなく、こちらが心を広く持たねばならず、両親が帰るとどっと疲れてしまう部分もあった。

夫との関係では産後クライシスもあった。

今では、子育てによく参加してくれているのだが、子供が生まれても父親の自覚がなかなか持てず、育児の当事者意識が出てきたのは生まれて3年くらいではないか、と思う。

最近の父親は、育休を積極に取ったり、お風呂に入れる時間までに帰ったりと、育児参加が積極的でうらやましい限りだ。

だが、私の育児当時には、そのような父親は、少数派であり、夫は仕事人間。
週3は飲み会。飲み会がなくても子供が寝付いた頃に帰ってきて、子供が起きるの繰り返し。

勘弁してよ (心の声 毎回)

寝かしつけをしても、息子とは添い寝をしていて、私の腕の一部や胸などを必ず触っており、私が動くとすぐに起きてしまう。寝た後に何かしようとしても難しかった。

子育て施設に時々通いはするのだが、あまり頻繁に行く元気もなく、他のママたちと、子供生育状態等について表面的な会話に終始。

スタバで休憩?いやいやうちの子の場合、泣くから無理でしょ。自宅でだって温かいもの飲めるのは、両親がいるときだけだよ。

髪を切るのも、歯医者に行くのも、前に行ったのはいつだっけ?という状態。

離乳食が始まれば、毎食、食べ散らかした食べかす、机周りの床を雑巾でふき取る日々。

ボロボロの自分。

あれ、弁護士として、案件を解決していた自分はどこ?

他方、独身時代と変わらずに、キャリアを積める夫。

所属意識は満たされ、子供の父親としての地位も同時に得られる。
自分の両親にも子供を見せられる。

あれ、私ばかり失っていませんか。

仕事上でのキャリア、健康、自分の趣味、友人仲間との語らい、自由な時間、美容・・・・

うーん、なんか不公平。

不満感、不公平感、何で手伝ってくれないの、大変さをわかってほしい、物は要らないけれど、当時はそんな思いでいっぱいであった。

でも、経済的に依存している(お金を稼いできてくれる)という理由で、子供が生まれる前よりも対等に話せない自分もいた。

でも、口に出さなくても、態度に出ていたのだろう。

あるとき、夫は、この家に帰ってきたくない、と言ったのだった。

私自身も、こんな気持ちでは母親失格である、息子は、私以外の人に育てられた方が幸せなのではないか、と本気で思うこともあった。

産後うつから自殺する母親の気持ちが痛いほどわかった。

※ちなみに、第二子の娘は、よく寝てくれる子で、育児の大変さは全く異なった。

だから、後輩に言った、子供が生まれると3年くらいは、日本語が通じず、常識も通じないかわいい宇宙人の介護係になるかもしれない、と。労働時間は下手すると最初の1年は24時間無休無給(自営業の場合)になるかもしれない、と。

正直、仕事の方がはるかに楽。日本語通じるし、周りに常識が通じる。
合理性というのが支配する空間だから。
しかし、育児では全く合理性が通じない。その落差に私はかなり精神的に落ち込んだよ、と。今までの自分の培ってきた対応が全く通じないのだ。

小学校に入学すれば、自分達で通学してくれるから楽になるけれど、親の目の届かないところでのトラブルにも親が対応しないといけないし、中学受験するとなると、私の周囲でもフルタイムの仕事を辞める母親が多い気がするし、実際小1の壁なんかよりも高い壁だと思う。


だから、個人的には、次生まれ変わったら、子供を持たず、信念を貫く人生もいいかなと思っているよ、と伝えた。自分の子供にも、子供を持つことを求めないつもりだ。

子を持ってよかったこと

他方で、子供がいてよかったことについても伝えた。

1 子供の成長を感じたときには、これまで感じたことのないような、飛び上がるような嬉しさがある。

2 自分の老いを受け入れやすいと思う(自分が老いるだけではなく、子供 が成長しているのだと思える。)

3 自分の両親に親孝行できる(両親は実際孫が成人するまで生きるぞとかなり健康に気を付けるようになっている。完全に孫が生きがい。)。

4 少子化対策に貢献(と自分で自分を褒める材料でしかないが)

5 子育てで悩む親の気持ちがわかる(子供と接する機会がなければ一生わからなかったかもしれない。)

ほかに人としての器が大きくなる、といったことも考えたが、別に子育てでなくても器は大きくなる気がするし、子育てを通じて器が大きくなっていない人もいると思うので、固有のメリットではないかな、と思う。

最後に

 

結局、じゃあどちらがよいのかというと、自分としては、子供を持ったからこそ子育ての大変さがわかり、来世では子なしでいいかな、と現状考えているだけであって、子どもがいなかったら子供が欲しいと思い続けるのではないか、という無いものねだり以外の何物でもなく、結局、主観的なアドバイスしかできなかった。

客観的なメリット、デメリットはまた折をみて再考してみたい。

これからの子育てに関していえば、願わくば、若いうちに、もう少し子育てとはどんなものか、子育て雑誌のきらきらした雰囲気とは異なる、子育ての実態を体験しておく活動があればありがたいと思う(たしか今はそういうNPOが存在したはず。)。家庭科で子育て現場を見られるようにしてほしい。

また、子育ての大変さはやはり母親への負担偏重だと思うので、少しでも負担を減らす手当をしてほしい。

具体的には、市区町村への子ども手当の申請、学童の申請などには、一回記入したらそのまま印字して申請書を送ってほしい(訂正すれば足りる)。

一時保育なんかは、面接やら申し込みの手間が煩雑なので、市区町村の一斉検診のときに、全員一時保育を利用する前提で、申し込み、面接まで済ませる手はずにしてもらえたらいいのにな、と思う。

きっとみんなもっといろいろ要望があると思うので、そういったものが少しでも吸い上げられて実現に向かっていってほしいなと思う。

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