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噫無情

感情の向くままに書き記すととんでもなくAgressiveなニュアンスになり己の業の深さに辟易することが度々あって、そんな時は信頼出来る誰かにその下書きを読んでもらって返ってきた感想に救われ早まってあんなものを公に明らかにしなくて良かったと溜飲が下がる。

「溜飲が下がる」を誤って使っているが、やってはいけないことを正しく咎められるのは自分の中に捻じ曲がったプライドがどっかりと存在していない限り妙にスッキリするものだ。してやったり、の溜飲ではなく嗚呼やられた…の溜飲。

こういう過ちを冒す(これも「犯す」が正解だが「敢えてする」の意味合いが強いのでこちらの「冒す」を用いている)時は決まってネガティブな感情を何度も反芻しているうちに本末転倒な悪感情だけが熟成されていってしまう傾向が強く、それも自然にそうなると言うよりは敢えて「ヘイト」することで自分の正当性を保ちたいらしい。

精神状態がこうなってしまうと自浄作用は最早期待できないので何かに頼るしか無いのだが、幸い僕にはリベラルな立場で物を言ってくれる友人達が居るし全てを吹っ飛ばしてくれる音楽や映画を引き寄せる力が備わっている。面白いのは一発で一帯を更地にしてくれる高性能の破壊力を持った爆弾は投下されず、焼夷弾の雨が断続的に続くような感じで悪感情が焼き尽くされていく。

そう言えばずっと昔「赤い雨」というダンス作品を作った記憶がある。Peter Gabrielの"Red Rain"を使ったのでタイトルはそのまま「赤い雨」としたんだと思うが、内容は文字通り汚染された真っ赤な雨に打たれ続け成す術もなく徐々に躰が腐敗していく…といったおそらくその頃観たSF映画に感化されたまさに若気の至りの代物、だった記憶がある。そう、全く実体験として覚えていないのだ。あれは幻だったのか…

もとい。

愉快・痛快な映画とは無縁な重苦しく辛い映画を立て続けに2本観て尚も延焼中の心中がようやく鎮火するキッカケとなりそうな映画を発掘。予告編や映画評論家のネタバレ解説動画では暴力的な描写が目立ち見るからに重量級な映画であるにも関わらず僕のセンサーは「これこそが救世主」と振り切っている。

そして劇場へ。

予感は違わず的中した。

スクリーンに最後に映し出されたこの引用文にグウの音も出なかった。

「友よ、よく覚えておけ、悪い草も悪い人間もない。育てる者が悪いだけだ」

ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」

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