心得を守る?それとも……

突然だが、皆さんはYouTubeで配信されているアニメ『名探偵コナン』をご覧になられているだろうか?

57~58話の『ホームズ・フリーク殺人事件』の再公開が始まったから、1話目の『ジェットコースター殺人事件』から順番に見ておられる方は恐らく48~49話の『外交官殺人事件』もご覧になられたのではないだろうか?

『外交官殺人事件』は後の『ホームズ・フリーク殺人事件』でコナン君の正体を工藤新一だと見抜き、その後は頼りになる協力者となり友人となりコナン君の事情を知る良き理解者となると共に探偵としてはライバルとなる服部平次君の初登場話だ。

『外交官殺人事件』は西の高校生探偵として知られる平次が東の高校生探偵として名を馳せる新一に勝負を挑んでくるお話だったのだが、この時平次が持ってきた白乾児(パイカル)という中国酒を飲んだことによりコナン君は新一の姿に戻り、そしてその状態で辻村勲外交官が殺された事件の真相を話したのだった。

詳しくは原作かアニメ本編を見て頂ければお分かり頂けるとは思うが、平次は毛利探偵事務所に来てすぐに新一が蘭に電話をかけても蘭の様子を聞かないことを不審に思い、「新一は近くに居て蘭の様子を見ているに違いない」という推理をしていたから外交官殺人事件の解決後に新一は蘭から問い詰められることになる。

自分が黒の組織の事件に巻き込まれてコナン君の姿になっていたということを話すわけにもいかず、新一はこの時嘘をついてその場をしのいだのだった。

平次は自分が解けなかった事件を新一が解いたこと、そして新一に関しての自分の推理が間違っていたと思ったこと(←ただし本当はこちらは的中していた)で、新一にこう言った。

「何や。俺の推理は最初から外れとったんかいな。今回は何から何まで俺の負けや。さすがやな、工藤。お前の推理の方が一枚上や」

それに対して新一はこう返している。

「バーロー。推理に“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ。だってよ、真実はいつもたった1つしかねえんだからな」

名台詞だしまさにその通りで探偵の心得だと言える台詞だ。

不幸な事件で家族や友人を失った人達の前で推理対決なんかやったら顰蹙を買うことだってあり得る。

現に『外交官殺人事件』では自分の家族が大変なことになってしまって取り乱す人(←誰なのかを書くと重要な部分のネタバレになってしまうので原作かアニメを見て確認して下さいね)もいた。

それに『名探偵コナン』でコナン君(新一)達が出会う事件はかなりの高確率で彼等のすぐ近くに犯人がいることが多いからライバルよりも先に事件を解こうと下手に先走って犯人に狙われでもしたらシャレにならない。

実際問題として『ホームズ・フリーク殺人事件』ではコナン君や平次よりも先に事件の真相を見抜いた人(←こちらも原作かアニメを見て頂ければと思います)が口封じで殺されてしまっているし、コナン君や平次もアニメや映画で何度も危ない目に遭っているのだ。

だから新一のこの台詞は探偵の心得としても先走らないようにという意味でも正しい……けど、『名探偵コナン』のコアなファンの皆さんの中には新一のこの台詞に対して「どの口で言うてんねん!」と突っ込みたくなった人も多いかも知れない。

『服部平次VS工藤新一 ゲレンデの推理対決』ではコナン君(新一)が解いた事件の数が平次が解いた事件の数を上回っていたことでコナン君は調子に乗ってしまうシーンがあった。

『コナンVS平次 東西探偵推理勝負』では世良ちゃんこと世良真純から「東西の高校生探偵はどっちが上?」と聞かれたことからコナン君と平次は「自分こそが上だ」と張り合ったあげく、事件が自殺ではなく他殺であると見抜いて一歩リードしていた平次が見抜けなかった犯人を見抜いたコナン君は「これで逆転さよならホームランだってね~」と平次を煽る始末だった。(ちなみに世良ちゃんの評価は事件が他殺であることを平次が見抜いてコナン君が犯人を見抜いたので引き分け)

さらには『恋と推理の剣道大会』でコナン君よりも先に平次が事件を解くとコナン君は「何か……凄い悔しい」等と言ってしまっていた。

そして『大岡紅葉の挑戦状』では大岡紅葉さんの策略によってコナン君(新一)と平次はまたしても推理対決をすることになるのだが、この時コナン君は平次よりも先に真相を見抜いて蘭にいい所を見せようとしてしまうのだった。

これらのコナン君(新一)の言動を見て「コナン君、おっちゃんのことをどうこう言えたもんじゃないくらいのダメっぷりを発揮しちゃってるやん。真実はいつも一つなんだから推理に勝ったも負けたもないはずやん。それに勝負なんかしようとして単独行動を容認したせいで平次が死にかけたことだってある(←『二十年目の殺意 シンフォニー号連続殺人事件』など)んだからそれを忘れたらあかんて」と思った人は恐らく僕だけではないはずだ。

何故コナン君(新一)は「推理に“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」と言ったにも関わらず推理対決となると勝ち負けを意識してしまうのだろうか?

これはあくまでも僕の想像でしかないのだが、コナン君が勝ち負けを意識してしまうのは下記のような理由からではないだろうか?

「推理に“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」という正論を言った時の新一は平次とは初対面だった。

平次の方は新一のことをある程度調べて新一のことをそれなりに知っていたようだったのだが、新一は平次のことをほぼ知らなかったわけだ。

しかし『ホームズ・フリーク殺人事件』で平次がコナン君の正体を新一だと見抜いた以降は最初に書いた通り平次はコナン君(新一)にとって頼りになる協力者となり友人となり事情を知る良き理解者となる。

お互いに相手が優れた名探偵であることを知った上で気心の知れた仲となってくると、「推理に“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」ではありつつも、相手が優れた名探偵なら自分はより優れた名探偵でありたいという心理が働いてしまうのではないだろうか?

……まあ、メタなことを言えば『名探偵コナン』の原作者である青山剛昌さんが「せっかく服部平次君という良きライバルがいるのだからコナン君(新一)と推理対決をさせた方が面白い」とか「どうせ推理対決させるならお互いに熱が入った方が面白い」と思ったからなのではないかということも考えられるのだが……

コナン君(新一)と平次の探偵としての心得に沿わない推理対決についてここまではネガティブな書き方をしてきたが、同時に僕は『名探偵コナン』に限っては推理対決も悪いことではないのではないかと思っている。

その理由としてまずは『名探偵コナン』の中で起きていることは作者である青山剛昌さんが「OK」といえばOKだし、逆に「NG」といえばNGになることが上げられる。

青山剛昌さんは『名探偵コナン』内での推理対決をOKだと思っているわけだから、探偵としての心得に反していようとも推理対決はOKということになる。

2つ目はコナン君(新一)も平次もお互いに協力して事件を解くことを忘れていないということが上げられる。

例えば『コナンVS平次 東西探偵推理勝負』ではコナン君と平次はお互いに「自分こそが名探偵だ」と煽ったりしていたものの、その直後の事件である『毒と幻のデザイン』ではちゃんと協力して事件を解決に導いている。

これには世良ちゃんや紅葉さんのような人物による煽りの有無も関係していると思われるが、コナン君も平次もお互いに根っこの部分では「推理に“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」を意識した上でライバルである以前に協力者でなければならないということをわきまえているのではないだろうか?

『コナンVS平次 東西探偵推理勝負』がテレビで放送されたのは2012年(平成24年)の3月24日で、その後2016年(平成28年)の12月9日に『金曜ロードSHOW!』で『名探偵コナン エピソード“ONE” 小さくなった名探偵』では再び「推理に“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」という台詞が登場していることからもコナン君(新一)はそれを忘れていないことが覗える。

従ってコナン君と平次は推理対決をする時でもそれなりに節度を保っていて羽目を外すことがない分、推理対決はあってもいいのではないかということになる。

3つ目、これはアニメ内では触れられていないのだが、コナン君も平次も事件から学ぶ力が強く、向上心を持っていることが上げられる。

『服部平次との3日間』で昇岳寺という寺の住職である釈蓮和尚がコナン君、おっちゃん、平次の前で「言葉は刃物…使い方を誤ると質の悪い凶器に変化する…」という台詞を発したことがあった。

詳しくは原作かアニメを見て頂ければと思うが、釈蓮和尚は過去にある人物を叱責して自殺に追い込んでしまったことがあり、そのことを悔いてそう言ったのだった。

この台詞を覚えていたコナン君は映画の『沈黙の15分』で喧嘩していた元太と光彦に「一度口から出しちまった言葉は、もう元には戻せねーんだぞ。言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると、厄介な凶器になる。言葉のすれ違いで一生の友達を失うこともあるんだ」と言ったことがあった。

また、コナン君は『ピアノソナタ月光殺人事件』で犯人を助けられなかった経験から「推理で犯人を追い詰めて自殺させてしまう探偵は殺人犯と同じ」と言っていたこともあり、彼は事件が解決したらそれでお終いではなく事件からきちんと教訓を得ていることが覗える。

そしてそのコナン君の発言を受けた平次は命がけで犯人の自殺を止めたことがあり(←『浪花の連続殺人事件』)、やはり事件から教訓を得ていることが覗える。

彼等は忌まわしい事件を憎み、そこから学び、より優れた探偵へと成長することで悲劇を少しでもなくしていこうと努めている向上心の持ち主だ。

そして彼等のお互いに相手よりも優れた探偵であろうとする気持ちは向上心に拍車をかける。

ならば彼等には今後もお互いに高め合ってもらった方が治安の悪い『名探偵コナン』の世界も少しは平和に近づくのではないだろうか?

僕が『名探偵コナン』においては推理対決はあってもいいのではないかと思う理由は上記の通りだが、もちろんこれは創作物内に限ってOKなことだから現実世界では殺人現場で探偵の推理対決など有り得ないということは言うまでもない。

しかし、殺人現場で探偵の推理対決のような明らかにあってはならないことでなければどうだろうか?

「“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」が“それ”の正論であって“それ”をやる上での心得である場合、“それ”で対決することは確かに“それ”の心得に反することにはなるだろう。

『名探偵コナン』のような創作物、例えば漫画やアニメや映画が“それ”だった場合は?

漫画や映画やアニメを作る人達にとっては自分の作品について他作品と比べられて「秀でた作品になりましたね」と言われたとしても「創作物に“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」が正論であり心得だろう。

しかし、お互いのことをよく知っていてお互いの作品を面白いと思っている制作者同士がお互いに「よし!あいつがこんな面白い作品を作れるなら、俺はより面白い作品を作ってやる!」となるのは決して悪いことではない。

むしろそれによってより面白い作品が生まれることだってあるわけだ。

皆さんはどうだろうか?

自分がやっていることが誰かと競うべきものではなく、「“勝った”も“負けた”も“上”も“下”もねえよ」が正論であり心得であった場合はその心得を守ろうと思うだろうか?

それとも、心得には反するが誰かと競ってみたいと思うだろうか?

もしくは、どこかでふわっとさせるというのも1つの手かもしれない。

え?十中八九どこかでふわっとさせることになることは明白だろうって?

……失礼しました(汗)

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