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【考察】私悪くないよね?って聞いちゃうやつの地雷率100%

ネットサーフィンしているときに「私悪くないよね?って聞いちゃうやつの地雷率100%」って投稿を見て、その理由を考察してみた。

思いついたのは、人として関わりたくない性格をほぼ網羅しているということだ。どういった性格なのか?

  • 他責思考

  • 自己中心的

  • 承認欲求が高い

上記3つの性格の内、一つでも持っている人とは、なるべく付き合いをしたくないが、「悪くないよね?」って聞いちゃう人は3つを網羅していると考える。

そりゃ関わりたくないと言うのも頷ける。では、なぜ関わりたくないのか?理由を深掘りしてみたい。

他責思考と関わりたくない理由

私が思う他責思考と関わりたくない理由は3つある。

  1. 自分以外に原因を求める

  2. 口だけで行動しない人が多い

  3. 他人のミスに厳しく、自分のミスには甘い

深掘りしてみよう。

自分以外に原因を求める

基本的に自分は悪くないと思っていることが多い。もちろん当人が悪くないときはかまわないが、そうでない場合でも自分は悪くないと言う。
よく聞くのが「自分も悪いが、あいつも悪い」という言葉。
もちろん原因となることが一つではないことは多々あるので、間違っていない。しかし自分が悪かったことを謝りもせず、他人のミスを攻めるのは、違うのではないか?
おそらくこういった人たちは自分が原因として責められるのが嫌なのだろう。

口だけで行動しない人が多い

他人に対して「あれやっておけば」「これをやっておけば」など過ぎたことをいつまでも言ったり、「自分がやっていれば、こんなことにはならなかった」と言う。
これも自分が原因として責められるのが嫌なため、その場では言わず喉元過ぎさったあとに言うと思われる。
それと成功や対策が成功したプラスの評価を受けるより、ミスによるマイナスの評価での損失に過度な恐れが働いているのではないかと思う。

他人のミスに厳しく、自分のミスには甘い

自分以外に原因を求めるときによく聞く「自分も悪いが、あいつも悪い」にすべてが詰まっていると思う。
この言葉は自分と相手のミスを比較している言葉であり、先に自分の悪い部分を出すことにより、相手のミスを協調している。
しかもこの言葉のあとは、だいたい相手のミスがどれだけ悪かったかをつらつらと伝えることが多い。
私のミスより、相手のミスの方がヤバイと比較させ、自分のミスに対してはなあなあで済ませるのである。

自己中心的と関わりたくない理由

自己中心的な人と関わりたくない理由も3つある。

  1. 自分が話の中心にいないと嫌なので、会話の邪魔になることが多い

  2. 自分がかわいそうなのはダメだが、他人が大変なことには無関心

  3. 話題が自分の話ばかり

深掘りしてみよう

自分が話の中心にいないと嫌なので、会話の邪魔になることが多い

いつまでも自分が主役でいたい人に多いイメージ。何かの会話をしていても、話のコシを折り、くだらない自分語りを始める。他人が始めた自分語りは早々に切り上げるのに、自分のことは延々と話し続ける。
実りある話だといいが、大抵くだらない話が多い。
第3者と話していても、会話に入ってきて終わらすことがある。
今その話はいらないってことばかり。

自分が大変なのはダメだが、他人が大変なことには無関心

他人を手伝わないのに、自分が手伝ってもらえないと文句ばかり言う。
なぜか自分が大変なときは手伝ってもらって当たり前と思っている。
他人が大変なときは手伝うことが、ほとんどないにも関わらないのに。
私の周りにいる自己中心的な人はそんな感じだ。
無論、忙しいときは仕方がないと思う。しかしどうみても暇なときは手伝えばいいものを、決して手を貸すことはしない。
まず与えなければ、与えられることはないのだ。

話題が自分の話ばかり

往々にして多いのが、自分にあったことばかりを話すのだ。
話に出てくる登場人物が、話を聞いてくれる人が知っているなら、まだ会話が成り立つ。しかしまったく知らない人物を言われても性格も分からないし、顔も見えてこない。人間そんな話をされても反応に困ってしまうことがほとんどである。
さらには本人からの視点でしか語られないため、正常な判断が下しづらい。
片方からの話だけでは、相手をいくらでも悪く言うことが可能なため、どうしても偏った意見になってしまう。

承認欲求が高い人と関わりたくない理由

  1. 承認を満たすことが第一なので、周りの迷惑を考えない

  2. 自分に都合のいいことしか言わない

深掘りしてみよう。

承認を満たすことが第一なので、周りの迷惑を考えない

昨今のバカッターに多いイメージ。
スシローペロペロやそば屋の食器洗浄機や冷蔵庫に寝そべる事件が記憶にある人は多いと思う。
本人や撮影者などは楽しいと思っているのかもしれないが、第三者からみれば、何が楽しいのか分からないことばかりではないか。
自分のSNS投稿が、たくさんの人に見られ、反応があることに快感を覚えるのであろう。過剰な承認欲求が起こした不幸な人生である。そんな人らにはバートランド・ラッセルの「幸福論」でも読んで、今一度自分の行いを顧みてほしいものだ。

自分の都合の良いことしか言わない

話題が自分の話ばかりでも書いたが、片方からの意見しかないので、正常な判断を下すことが大変難しい。
話の裏どりをすると、「結局、おまえも悪いじゃん」ということがよくある。本人にとって見たくない部分なのか、見えてない部分なのか不明だが、大事な部分が端折られ伝えられるのだ。これで正常な判断を下せと言われても難しいところである。
人間関係によっては「彼、彼女が言っていたから信じた」ということがあっても不思議ではない。内容によっては冤罪もありえる。恐ろしいものだ

対策方法

私が考えられた対策方法は3つ。

  1. そもそも関わらない

  2. 話の裏を取る

  3. 嘘だと思って話半分で聞く

これも深掘りしてみよう。

そもそも関わらない

人ができる最高の防犯対策は、あぶないところに近づかないことだ。
近寄らず関わりがなければ、害になることはない。
しかし会社や学校など、どうしても関わりが出てしまう場合がある。
そういった場合はどうしたらいいのか?それが次だ

話の裏を取る

偏った視点からしか話が聞けないのであれば、別の誰かから話を聞いて、視点を多角的にすれば解決である。
関係者にそれとなく話を聞いてしまおう。聞いたうえでどんな判断を下すかはあなた次第だ。

嘘だと思って話半分で聞く

別の誰かに話を聞けなかった場合はどうすればよいか?
一部本当のことがあっても、半分程度は嘘だと思うことだと私は思う。
これはあくまで自分の中の落としどころの話のため、根本的な解決にはならないのが残念である。
意図的に相手を貶めたいことがないと、半分程度嘘の話を人に話すことは、ほとんどないはず。他の人は分からないが、少なくとも私はない。
相手が本当のことを言うと期待しなければ、自分にダメージなどないのだ。

まとめ

地雷率100%の人には近づかない方がいい。人として関わりたくない性格をほぼ網羅している。どんな性格かというと

  • 他責思考

  • 自己中心的

  • 承認欲求が高い

このような輩は論理的に言っても感情論で返してくることが多いので、あまり相手にしないほうがストレスも溜まらず、精神衛生上良い。
仮にそういった人と関わらなければならないときは、なるべく証拠(言質)を残しておこう。安全だ。

私の周りでそういった性格の人に多い特徴だと、女性だとケバめの化粧率が高く、男性だといつも不満げな表情で微妙なファッションをしている。
それとメンヘラが多い。
メンヘラだからそんな性格になるのか、そんな性格だからメンヘラになるのかは不明だ。


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