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家庭環境(転校するまで)



小学3年生で転校、祖母がアタシのお母さん見たいな存在で無償の愛情を与えてくれ、理想の母親像はいつの間にか祖母になっていた。

祖父は自営しつつ他でも勤務するけれど、定時に帰ってくる人でテレビのチャンネル争いの相手だった。
祖父はドライブ好きで外食好き、初孫のアタシが可愛くてたまらなかったんだろな。

父、転校するまでは社畜サラリーマンで平日に顔を合わせることが滅多になくて、覚えてるのは1度だけ釣りに連れて行って貰った。
転校するまでの父とのエピソードが希薄過ぎて困る。


母、ひたすら厳しくて祖母と長女のアタシの争奪戦が毎日繰り広げられ、アタシは感情の穏やかで上品さを子供でも感じ取れた祖母に着く。
するとアタシに対しての風当たりが強くなって母に甘えるなんて出来なかった。
母乳は飲まない赤ちゃんだったので母じゃなくてもミルクは飲ませられる、それも母は悲しかったんだろうな。

妹が生まれて母の視線は妹に注ぐようになり、アタシはやっぱり祖母の優しさや可愛いさに甘えていた。
妹は幼稚園に入る前から勝気で頑固、自分の主張が通るまで壁や地面のコンクリートに頭をガンガンぶつけ主張を通してた。
人見知りが激しくて今の妹からは考えられないくらいに人の好き嫌いがハッキリしてる子だった。
完全母乳だったから母も喜んでたのは何となく覚えている。


生まれてから1度もカットしていない長い髪が邪魔で、カットして欲しいと毎朝ブラッシングで暴れる妹と、長く伸ばしたいのに直ぐカットされてしまうアタシ。
その反動で物心ついてからロング時期が多い。


アタシはといえば妹と正反対の性格、人見知りはしないし唯一の自己主張は通園、登校。
幼稚園に行くのも大嫌いで毎日毎日、祖母が宥めて何とか行くんだけど途中で先生から自宅に電話。
お迎えに来てください、これが頻繁で帰り道ずっと泣いてた。

誰かに虐められてる訳でもない。
友達もいっぱい居てそれなりに遊びに夢中になるも、お昼ご飯辺りには帰りたいと先生を困らせた。
スパルタな母のおかげで勉強は普通に出来たけれど、幼稚園も学校も長時間いるのが苦痛でしかなかった。


小学生になっても登校拒否は直らなくて、毎朝上級生のお姉さんがお迎えに来てくれていた。
お迎えに来て貰ってるから仕方なく登校はする、上級生のお姉さんに『行きたくないって泣いちゃ駄目』と言われたのも覚えてる。

こっそり毎日20円ポケットに入れて何とか登校するのだけど、小学生の先生に帰りたいと言っても通らない。
そこで公衆電話から途中までお迎え来て欲しいと泣く術を知った。

母はアタシの勉強にも厳しく、幼稚園、小学3年生まで毎月大きな箱で本を買い与えてくれた。
到底、理解出来ないワンランク上の本ばかりでルビを頼りに本の魅力に引き込まれた。
これは感謝している。

1年生で習字を習いに行かされ、宿題や母が買ってきたドリルは必ず終わるまで監視。
勉強は嫌いではなかったけれど、アタシも勉強以外に好奇心は沸いた。
キッチンで料理をする母の手伝いたくて、勉強が終わると夕食の準備中のキッチンをよく覗いては母の側で甘えようとしてた。


今も忘れてないし忘れられない。
母の真似をして人生初の生卵をボールに割る初めての体験、嬉しさでテンション上がるけれど殻の欠片が入ってしまい失敗。
母に庭に連れて行かれ、大きな松の気にロープで縛られた。
『殻は入ったけど上手く割れたね』なんて甘い言葉の変わりに、『だから辞めなさいって言ったでしょ!』
次の卵を割るドキドキ感も一気に吹っ飛んだ。

松の木に縛られてると日が沈んで行く、こういう縛られたりのお仕置きには泣かないことが多かった。
祖母はアタシを見つけてロープを解いてくれた。

料理に興味があったのかアタシが母に甘えたかったのか、またキッチンで叱り飛ばされた。
鯛を出刃包丁で悪戦苦闘しながら捌いてる様子を近くで見てた。
『苦手な魚』くらいの気持ちで魚に関心が合った訳ではなく、鱗が剥がれてく様子やぼんやり見てた気がする。

アタシの太ももに包丁の先がすっーときた。
故意的に母は包丁は危険で痛いモノだと体感させる為に太ももに軽く血を滲ませた。過度な躾
これには流石に驚いて泣き叫んだ、傷が痛いのではなく包丁で敢えて傷を付けた行動に怖くて泣いた。
案の定、次は物置に閉じ込められた。

物置の中でも母の行動がショック過ぎ、アタシを嫌いだから包丁で傷つけたんだと思い悲しさと恐怖で震えていた。

また祖母に助けられ傷口にバンドエイドを貼ってくれたけれど、傷より恐怖とか複雑な感情は払拭出来ず祖母に身を委ねた。
祖母が『こんなことしなくても分かる!包丁が危ないと分かるのに!』
母に向けて注意していた。

ある夜、父の同級生達が家に来る為、母は手料理を振る舞うべく天ぷらを揚げていた。
パチパチ音を立てながら次から次へ完成していくのを扉の隙間から見ていた、モノが変形していくことモノの形態が変化していくのが好きだったのかな。
天ぷらが全て揚がり終わり母の居ない隙にキッチンに入った。

さっきまで揚げていた天ぷら油が入ったお鍋。
衣を纏った食材の変化に興味深々で、天ぷら油のお鍋なんて見えてなかった。
それを全部ひっくり返してしまい、叱られる恐怖と火傷した熱さと痛さで嗚咽しながら号泣した1年生のアタシ。

真っ先に祖母が来て油のついた靴下やスカートを脱がし、シャワーの冷たい水を火傷に当て続けてくれてた。



母はやっぱりひっくり返したことを激怒、アタシは痛いのと叱られる怖さでまたずっと泣き続けていた。
そんな時に祖母が母を叱った。

『火傷するような場所に置くのも悪い!油塗れのキッチンは掃除したら戻る!』
『そんなことより病院!!』

火傷、予想以上の酷さでまだ帰宅しない父を待てず救急車で病院に行った。
母ではなく祖母が付き添ってくれ大きな注射を打たれ、火傷が深いから学校も休んでくださいと医師が話してた。


2年生の三学期になった日、父と母と妹が居なくなった。
引越し先に3人で住むようになったのを知らなくて驚いたものの祖母がいるから淋しくなかった。
相変わらず朝のお迎えのお姉さん、途中で公衆電話から迎えに来て欲しいは変わらない。

転校するまでの学校は私服だったので、女の子らしい服を好んで着て登校してた。
歩くと洋服のフリルが揺れるのだけが楽しくて登校してた。

ある日、先生から洋服に対して電話がきたようでフリルのスカートもレースのブラウスも赤い革靴も学校には着て行けなくなった。

登校拒否が激しくなるけど無理矢理通学、給食前には公衆電話コースになった。
給食食べるのも遅い上に食の好き嫌いが激しく少食、いつも掃除時間でも残飯になる給食と睨み合ってた。
今も食への興味が薄い上に魚やお肉は苦手。


無駄に小さい頃から読書だけは好きだったのがこうじてか、夏休みの宿題かなんかでアタシが書いた作文を発表会に応募すると先生が言い出した。

途中で公衆電話には行けない、放課後に残って音読しながら修正や感情込めて作文を誰かに伝えるように音読の仕方を頑張った。
でも早く帰りたくて作文がどうなるか考えてなかった。

どこかの学校の壇上で発表する日が来て、拍手と賞状を貰った。
タイトル『カエルとトカゲ』無意識に弱肉強食を観察して書いた作文。

2年生の三学期の最終日。
やっと学校から解放される喜びと友達とのお別れが悲しく複雑な想いで静かに泣いた。

春休み後半辺りからアタシの荷物が引越し先に運ばれていき、引越す日の前夜は祖母の布団で一緒に寝て優しい香りに安堵しつつ不安を忘れ眠った。
優しく美人で大好きな祖母、今、客観的に祖母の写真を見ても美人だと思う。

引越しすると祖母と離れる、何より淋しく不安だった。
家庭内の逃げ場の祖母と離れるのは辛かったと思う。

転校しなきゃ良かった。

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