苦しい時に助けてくれた立ち食いそば屋のおじちゃんと1年ぶりに再会した話。
「よく食べたね。お店で食べたの初めてじゃない?」
そう言って1年ぶりに会った立ち食いそば屋のおじちゃんは私に満面の笑みをくれた______。
■おじちゃんとの出会い
おじちゃんとの出会いは、そんなに劇的な形ではなかった。
出会ったのは約2年半前。
日課にしていた早朝5:00の散歩(通称:あさんぽ)を決行している中でのことだった。
その当時の私は、朝に何かを口にする前に有酸素運動を少しでもしないと気が済まなかった。
どれほど寒くても片道10分、往復20分はどこかしらを散歩しようと少し駆り立てられたような、けれどその中にもまだ人通りがまばらな世の中を独り占めした気分を味わい尽くすことを満喫していた。
いつもとは少し違うルートで歩こうと何故か思い立ったその日。道中で、どう見ても寂びれた外観のお店に赤い提灯が灯ってを見つけた。
“何だろう…”
近づいても、書かれた小さなメニューの文字を読み取ることは出来ず。
かといって道路に面した作りのお店に、お客になると決めたわけでもない私は、それ以上近づく勇気もなく、その日は一旦諦めた。
けれど、朝5:00に営業していること。ぼうっと灯る赤提灯。どうしても気になった私は、その翌日も朝の散歩を行うことを決めた。
今でこそ、少しずつ外食ができるようになった部分もある私。しかし、“あさんぽ時代”は言わずもがな全く出来なかった。お店がどんな様子か、何屋さんか知ったところで自分がお店で売られている“何か”を店内で食べられないことは分かってはいた。
けれど、それでも知りたい気持ちが勝った。
外から目を凝らしてみると、どうやらお蕎麦屋さんらしい。そんな中、メニューの端に小さく書かれた“いなり2ケ150円”の文字を見つけた私は意を決して、蕎麦屋の主人らしき人に聞いてみた。
“あの.....すみません。おいなりさんってテイクアウトとか....出来ますか?”
かなり目をまん丸くして驚いた主人は、数秒後に
“できます”
と答えて、薄手のビニール袋においなりさんを2ケ入れて
“150円です”
と言った。
これが私とおじちゃんの出会いだった。
◾️少しずつ深まる会話
初めておいなりさんをテイクアウトした日以来、私は時折おじちゃんのお店を訪ねるようになった。
朝6:00から営業するおじちゃんのお店には、5:50頃から既に2-3人の列が出来る。タクシーやトラックの運転手の方、ご近所の方、それぞれがそれぞれの理由で並ぶ。
お蕎麦を店内で食べられない私に、おじちゃんは毎回おいなりさんのテイクアウトを嫌な顔ひとつせずに対応してくれた。行くたびに薄手のビニール袋を取るスピードが早まっていくのを感じて、心が嬉しくなった。
一度だけ50円玉と100円玉を見誤って100円しか持っていなかった時、おじちゃんは
“いいよいいよ、いつもありがとう”
と言った。けれど片道10分の道のりを往復して50円を取りに戻って帰ってきた私を見たおじちゃんはすごく驚いて。そしてすごく笑顔だった。
年が明けた時、
“はい”
とプーさんのポチ袋をくれた。
“これ、私に.....?”
“あんまり入っていないけど....(笑)”
そう言って照れ臭そうに笑ったおじちゃんからのお年玉。雪で路面が凍っていたその日に私はツルツルと半分滑りながら、ポチ袋を大切に抱えて帰った。
そして、おじちゃんからのお年玉は、殆どおいなりさんになって美味しく私を満たしてくれた。
少し経った頃、おじちゃんのお蕎麦を食べてみたい。そう思った私はある日おじちゃんに言った。
“おじちゃんのお蕎麦ってどうにかお持ち帰りできますか?”
おじちゃんは
“水筒みたいなやつってあったりするかな?それに出汁を入れて、お蕎麦は袋に入れるよ”
ちょっと嬉しそうなおじちゃんは続けて言った。
“もし、お鍋がお家にあれば、湯掻いてお蕎麦を入れてあげることも出来るよ”
それはちょっと恥ずかしいな(笑)
言わなかったけれど、おじちゃんの優しさが嬉しくて私はその翌日に食べるおじちゃんのお蕎麦の味をすごく楽しみにしながらその日を過ごした。
翌日、約束通り出汁用の水筒を持って行った。
出汁にはおじちゃんが夜中の24:00から取った鰹節の香りがふわっと香る。
お蕎麦を少し湯掻いて、そして温めたお出汁と一緒に頂いた。冗談抜きで、世界で1番美味しかった。
私はその美味しさを伝えたくて小さなメモに、お手紙を書いておじちゃんに渡した。“おじちゃんの名前を教えてください”と書いた手紙に、次にお店に行った時に
“おじちゃんの名前はなるとも、と言います。ナルトみたいだね”
と教えてくれた。
◾️卒業式にて
当時、大学の卒業間近だった私。
お店のカウンターで出汁を水筒に入れてもらうのを待つ間の会話が卒業式の内容になることが増えた。
卒業式の日時を伝えると、おじちゃんはカウンターの越しのカレンダーを見て、“○日だね”と呟いた。
“卒業式、大学のキャンパスで友達と写真を撮ったらおじちゃんのお店寄ってもいい?”
袴姿でおじちゃんに会って、自分の人生で社会的に迎える節目にありがとうと伝えたかったにだと思う。気づけばそう口にしていた。
“うん、お昼過ぎにおいでね”
当時は電車に乗るのも精一杯で、ましてや満員電車なんて自殺行為のようだったのだからよく卒業式に向かったと思う。
着付けをして友人に会って写真を撮るまではなんとか大丈夫だったが、構内に徐々に人が増え始めるとやはり私はギブアップだった。
学舎を後にして、お世話になった方々を回った。
最後に1番自宅に近いおじちゃんのお店へ行った。(本当の最後はお豆腐屋のお姉さんのところなのは秘密)
お客さんが少し途切れた時、おじちゃんは奥から見たこともない花束を持って、それを私にくれた。
本当にこんなに大きな花束を私は見たことがなくて。きっと後にも先にも、こんなに立派なものはないと言い切れるほどだった。
自分の門出をお祝いすてくれる人が、大きなお花を予約してくれていたこと。(実は後からお花を注文したお花屋さんと仲良くなっておじちゃんがだいぶ前から予約してくれていたことを知った)
嘘みたいに嬉しかった。
実は何度か夜中に生きているにはあまりにも苦しくて、おじちゃんのお店に行ったことがある。
泣きじゃくって、どこかに行きたいと言う私に
“泣きたくなったら、死にたくなったら、とにかくまずここにおいで”
と言った。24:00から仕込みをしているから、開店までお店の中で過ごしていいからね、と。
寝れない時、不安な時は本を持っておじちゃんのお店で過ごした。決まっておじちゃんは温かいコーヒーを奢ってくれた。
そんな私が卒業を迎えたことをおじちゃんは喜んでくれて、私もそのことが伝わって嬉しかった。
もちろん卒業してからも行ける日、行きたい日は通った。けれど、それから1年と数ヶ月後。
おじちゃんのお店は突然閉まってしまった。
◾️お別れのできぬまま引越し
少しお店に行けなかった期間があって。その間に気づけばおじちゃんのお店は閉まっていた。
おじちゃんのいないお店は、ただでさえ寂れた外観なのに、もう正気を失ったような感じだった。
そして、1人暮らしを始めて2年が経った私は契約を更新しなかった。すなわちそれは、大好きな街と。それから私を助けてくれた居場所にお別れをすることを意味した。
最後にどうにか会えないかな。
そう思って引越し前は何度かおじちゃんのお店の前を行ったり来たりしたこともある。けれど、お店が今後どうなるか、とか。そもそもどうなったか。知ることは出来なかった。
結局、引越し当日を迎えた私は連絡先の分からないおじちゃんとお別れできないまま、新しい場所での生活を始めた。
◾️リニューアルオープンをすると知って
引越しをして約半年。
おじちゃんのような存在はここには居ないから、お世辞にも前の街よりこの街が好きだ!とは思えないけれど心穏やかには暮らせている。
そんなある日のこと。
何気なくSNSを見ていた私は、以前住んでいた街でガラス屋を営んでいたおじちゃんのアカウントの投稿を偶然目にした。
“某立ち食い蕎麦屋さん、そろそろリニューアルオープンっぽいですよ”
あ、と思った。
投稿に掲載されていた写真には小綺麗な外観のお店が写っていた。寂れた外観だったあの頃とは似ても似つかないけれど一瞬でおじちゃんのお店だと認識した。
嬉しい。
嬉しい。
またおじちゃんに会える。
いつオープンなのかな。
お店辞めてなくてよかった。
とにかく心が嬉しくって飛び跳ねて忙しかった。
いつかな、いつから開くんだろう。とにかく嬉しくて、気づけばガラス屋のおじちゃんの投稿をこっそと覗くのが日課になった。
そして、待ちくたびれた頃におじちゃんに関する投稿が掲載された。
“いよいよオープン日が出ましたね”
そう書かれた投稿にはしっかりと新装開店のオープン日が載っていた。
1日後でも2日後でもなくって、この日に行こう。そう決めた私は、その日のアルバイトを早朝のものにした。朝ごはんは食べずに行こうと決めて。
◾️ほぼ1年ぶりに再会して
朝の品出しのアルバイトを、この後会うおじちゃんと初めて店内で食べるお蕎麦をモチベーションに乗り切った私。
ポケットにはおじちゃんへの小さな手紙を忍ばせて見慣れた駅を降りた。真っ直ぐにおじちゃんのお店へと向かう。
あの頃のようにもう廃れてはいなくて。なんだかシックでモダンで、なんていうカタカナが似合うようになってしまっていた。きっとこの外観だったらあさんぽも通り過ぎていた。そう考えるとご縁って不思議だ。
お店に入ろうと引き戸に手をかけた瞬間。
おじちゃんが、お店の外に現れた。
言葉より先に、まず手紙を渡すことが先行して。うまく言葉にならない感情が
“おじちゃん.....”
という一言におさまってしまった。
一瞬すごく驚いて、直ぐにおじちゃんは満面の笑みになった。
“玲奈ちゃん、久しぶりだね”
“おじちゃん、おじちゃん。店内で食べてもいい?”
“うん、もちろんだよ”
出汁とお蕎麦をテイクアウトしていた私は初めて新しいお店で初めてお蕎麦を食べる。メニューは事前に決めていたきつね蕎麦。
きっと水筒に入れてもらっていた出汁が染み込んでいるんだろうな、と想像していた。
毎回テイクアウトでたっぷり付けてくれていたねぎ。本当はわかめ蕎麦にしかつかないわかめ。それからちくわ天をこっそりおまけで乗せてくれた。
“無理して食べなくて大丈夫だからね”
そう言ってくれた。
きっと、大丈夫。ほぼ1日空けたお腹はきっとおじちゃんのお蕎麦でいっぱいにしてもいいよと言ってくれる。普段は怖い揚げ物も、今日なら。おじちゃんのならきっと大丈夫。
“いただきます”
と小さく言って立ち食いをした。
立ち食いそばを立ち食いした。
ゆっくりと食べた。周囲の人がかき込んでいくお蕎麦を私は高級料理店で料理を味わうかのように堪能し尽くした。
死ぬほど、美味しかった。
周りの人が来て、帰って行っても私は自分のペースで食べた。そしてそれが気にならなかった。
“ご馳走でした”
そう言って私はおじちゃんのお店で、初めて食べたおじちゃんのお蕎麦を完食した。
“よく食べたね。玲奈ちゃんがお店でお蕎麦を食べるの初めてだ”
そう言っておじちゃんは優しそうに笑った。それは、お蕎麦を食べ切ったことよりも。
お店で泣きじゃくっていた私。
“ご飯食べてね”と言われてもうんと言わなかったあの頃の私。
そんな私から少し心が強くなった私が今目の前にいることを、心から喜ぶかのような笑顔だった。
そんなおじちゃんの写真を撮って、ここだけの話お気に入りのハートマークをつけている。
私、多分相当強くなった。
ちょっとやそっとじゃ心はもう壊れない。壊されないように自分を守れる。もちろん用心深くだけれど。
“また来るね”
帰る時にそう言った。嘘じゃないと思う。引っ越したけけれど、また行くと思う。
会いたい時にその場所にその人がいることはすごくいいことだと思った。
そして久しぶりにおじちゃんに会えたこの日、私はなんだかもっと自分を好きになった。
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