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「虫捕る子だけが生き残る」を読んで

「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか
虫捕る子だけが生き残る
養老孟司/池田清彦/奥本大三郎

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この本は2008年11月、今から13年前に出版されたものですが、内容がまったく古びていないどころか、今でもその通りだと感じる部分が多々ありました。第一章の章題「虫も殺さぬ子が人を殺す」は、子ども時代に自然に触れていない、子どもが虫を捕ったりしない(させない)環境にいることが、人間の命そのものを軽んじると腑に落ちました。その第一章から引用します。

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真実は単純、事実は複雑
・・・物事の概念化には色々な時期がある。だから、概念化と教育って、結構難しい問題なんです。虫が好きになるか嫌いになるかということで言えば、小学校の低学年か、せいぜい3年生か4年生くらいまで。その時期までに虫をまったく見なかったら、その後はいくら見ても何も感じとれない。
・・・カブトムシを握ったことのある子は、いかにも痛そうな、足のトゲトゲを描きます。図鑑だけを見ている子は、そのあたりがいい加減ですね。
・・・概念を捉えると、イメージの中で全部四捨五入しちゃうんですよ。カブトムシなら、誰もがまず角を描くようになる。

大切なのはディテールを見ること
・・・虫を見ていると、唯一絶対なんてあるはずがないことがわかります。「なんだ、これは!」って思うような、見たこともないヘンな虫がたくさん出てくる。自分で面白がって虫を捕るようになると、次から次へと知らない虫が出てくる。図鑑にも出ていないから、必死になって調べる
・・・ディテールが見えると、おのずと自分なりの価値基準が出来上がる。難しくいえば、自分なりの「同一性の尺度」ができる。「あなたがたはそう言うけれど、私はこう考える」って言える。
・・・つまり、いちばん大切なのは、ディテールが見える、感じられるということなんですよ。概念を作るときに大事なのは、感覚を失わないことなんだ。

カンがいいとは、どういうことか
今、なぜ、子どもに虫を捕らせたほうがいいのか。その問題を考えるときに、世間の皆さんに、ぜひ気づいてほしいことがあるんです。それは要するに、・・・脳の機能は回転なんだということ。
・・・感覚→脳→身体→感覚…という具合に、情報をぐるぐると回していくことが、とても大事なんです。・・・そして、数ある遊びの中でも虫捕りがなぜいいかというと、それはほぼ理想的に脳が回転するからです。感覚から入って、計算して、その結果が運動として出て、出た結果が再入力される。虫を見て「いた!」と思ったら、筋肉を動かして、捕まえて、自分で調べて、標本を作って、考えて、また虫を見て…という具合に、インプットとアウトプットが連鎖しながらくるくる回り続ける。
・・・カンを磨くには、小さい頃から再代入、再入力を繰り返して、脳をブンブン回さないとダメなんですよ。要するに、外へ出て、自然の中で思う存分遊べということ。
・・・子どもをまともに育てようと思ったら、とにかく戸外で、自然の中で作業させるのがいちばんいいんですよ。
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どの文章も「その通り!養老孟司先生は以前から良いことを仰っている」と頷きながら読みました。中でも最後の「とにかく戸外で、自然の中で作業させるのがいちばんいい」には全面的に大賛成。都市の中には自然がないとよく言われますが、道端に咲いている草花やベランダでのガーデニングでも、毎日観察していると自然の移り変わりが感じられます。

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子ども、特に幼児期から小学校3年生頃までの子どもには、自然を通じて視覚だけでなく、口・耳・鼻から得られる味覚・聴覚・嗅覚、触って初めてわかる感覚を、たくさん経験させてあげたいです。

季節の変化を約5日ごとに表す「七十二候」では、10月18日ごろは「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」となっており、戸口(家の玄関や庭)で秋の虫が鳴く頃となります。昔は「こおろぎ」を「きりぎりす」と呼びました。今年は9月も猛暑日があったり、10月に入っても東京で25度を超える日が続いたりして、平年よりも2~3週間ほど後にズレている感覚があります。

ちなみに、都内の我が家には知らぬうちにカメムシが入り込み、今日まで1週間ほど同居していました。夕方になると秋の虫の音が盛んに聞こえてくる今日この頃、子どもと虫の観察をするにはぴったりの時期かもしれませんね。


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