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手順を踏むだけではおもしろくないし、続かない

記事ありがとうございます。

上記記事中に紹介されていた鈴木傾城さんという方のブログ記事、すごくよくまとまっていますね!元記事も見せて頂きました。こちら

シンプルにまとまってますね~もうこれさえ見れば学校が何を目的にして設置されている施設かがわかる気がする。少なくとも賢い子を育てる場所というよりは、子どもを規格化する工場のような施設というのが、自分の子ども時代の体験と照らし合わせてもピッタリな感じですね。

これでいくと、学校が用意したたくさんの「ものさし」をそのまま丸暗記させられ、コピーさせられる。ものさしばっかり増えて、自分がそのものさしで行くと「順位は何位か」ばっかり気にする人が出来上がりそうです。

そこで、いつも中国古典のご紹介いただき助かります。

荘子にはこういう伸びやかな説法のようなことが説かれているのですね。本当に漢文が読めないので、荘子に触れるのも載晋人さんから教わって初めてです。

琴、私の母親が使っていたのを思い出しました。母が育った禅寺から持って帰ってきたものです。自分も子どもの頃に教わりましたが、まったく続きませんでした。

自分、子どもの頃は本当にいつも力んでいて、音楽を楽しむような余裕がなかった気がします。琴も、ピアノも、リズムに乗れず、「手順を踏む」ことばかりに必死で、全く楽しめなかったので、どちらも続きませんでした。やはり音を楽しむ余裕がないと…。

琴をかき鳴らさず、自分の音をハーモニーの一部として添えるようにかなでる。素晴らしい例えですね。自分の音の尊さを知っている人ならば、「我が、我が」とでしゃばるよりも、ハーモニーの一部として活かすほうが、自分が活きることを知っているはずだという感じ。我執を消すことが、最も自分を大切にするということでもある、と思います。

ところで、載晋人さんに質問なのですが、いつごろから中国古典を読んでおられますか?そのきっかけや、漢文の文法?などを、どのようにお勉強なさったのか、ということ、お聞きできたら嬉しいので、よろしければお教えいただけませんでしょうか!

今日も、ありがとうございます。

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