見出し画像

まともなモノほど、陳列されない。


タイトルからして共感。

人間って、目くそ鼻くそ扱いされると、所詮そのように相手は思う。潜在的にそう相手に対応する。
立派な人に、「立派な人」を遇されたら、大概の人が「立派な人」であろうとする。

全くその通りです。

アドラーの経歴を知ったんですよ。精神科医として戦争に行って(戦地に精神科医が居るのが欧米だなって変に感心しました。日本だったら「生きてるなら戦え」だしw)傷を負った兵士が前線にかえれるかどうか判断する仕事をしたそうです。それに加えて戦争が終わった後の、すさみきったウィーンをみて、「人は争い合っていれば滅びる」と危機感を感じて、人間を互いに尊重して生きるにはどうするかという視点で心理学をまとめ、それが今のアドラー心理学になっているようです。ですから言い換えると「人を尊重するための科学」といった内容になっている。そこでも、人間は尊重しあえば素晴らしいパフォーマンスが発揮されると説かれています。

ようするに「相手を叩き潰してしまうよりも、仲間にした方が良い。まあ戦いだから「叩き潰す」も居るけど、次善の策だな」
て話。
その後に
「百戦百将は善の善ならず、戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるもの也」
は、百回も戦えば、相手も減っても、当然こっちも消耗して破滅する
ので、「戦わず」に自分も保存して相手も吸収して、「無敵」じゃん!って話。
こんなのは「競合こそこの世の原理」では出てこない。
もっというと
競合こそ真理・原理  て人らは、勝てば勝つほど、「敵・恨みをもつモノ」が増えてくる。
まさに「百戦百勝は、善の善に非ざるなり」
この百戦百勝は、孫子が書かれた時代に「英雄的資質をもった暴君の紂王の破滅の原因」と言われてたそうだ。そう「百戦百勝」はむしろ「百回も戦う羽目に至った失敗」でもあるのだ。
でも
「協調こそが、この世の原理」とみている人は、その人の成功や勝利が、周りを下手したら「対戦して負けた相手」も得をしたり、幸福になってしまう。
そうなると「勝てば勝つほど、戦力が増す」って状態になり、挙句は「戦う気が無くても勝ってしまう」
得になるのものな、負けても相手は。

ホントに仰るとおり、ハッピーエンドがエンドレスですねえ。

で、そういう理念はあれど、生き方の「具体的なスタイル」これが、巷に見本がなさすぎます。なのでアドラーでは「お稽古」を重ねるわけですね。このお稽古場では、新しいスタイルの「親子のやり取りの実例」が挙げられます。これ、やってみると自分でも目から鱗です。たとえば子どもが暴れて粗相をしても、そこは触れないんですよ。つい「え、これは良くない行為だってきっちり教えなくていいのかな??」って思うのですが、これも知らない間に「競合的」なやり取りがしみ込んでるからであって、実際は「良くないことを叩き込むより、こうするほうが適切だという見本をしっかり見せる」だけで充分みたいです。

こういうの、結構忍耐力が必要なんですよね。

>「人とともに楽しめばその楽しみは長く続くが、自分一人で楽しむのは長く続かず無くなるものだ(楽人者其楽長,楽身者不久而亡。)」

前にも載晋人さん書いておられましたが、みんなで強く仲良くなって、遊ぶほうが楽しい。けどそういう面白さは、忍耐が必要。ついつい相手を負かすほうの「安易な遊び」に流れてしまう。そうならないために信念と智慧の力が必要ですね。

「競合のココがわるい」をあげていくより、「こうすれば協調、こうしていこう」という良い見本が大切。これはすごく少ないんだけど、そういうのを見つけ出していって、そっちに行くよう不断の努力が必要だなあ。精神も鍛錬が必要ですね。


あと、他記事へのコメントで四柱推命と紫微斗数について書いて下さっていたこと、こちらにもまとめて書いておきます。

四柱推命と紫微斗数について。

四柱推命は、ちょっともう世界観が古くて、なかなか現代には当てはまらないと思います。
例えば男性と女性では星の読み方が変わるのですが、男性の場合は金運をさす「財」のところを読むときに配偶者運もみます。つまりたくさんの子を産む女は「良い財産」というわけで、子も女も「持ち物」というわけですね。当時はそれでよかったんでしょうが、いまにはそぐわない。

>そんなんで「占いは止めた」って人もいるとか。当たらない原因ってこともあり。そんなこともあってあまり自分で占星術には興味が無いのです。まあ人の見立てを参考にはしますけど。
それで、易とタロットを素人ながら好んでいるわけです。


そうなんですよ、占いができた時の世界観がね。古い。
けど、
「こういう形の時はこういう意味がある」ていう解釈の部分が古くて使えないけど、そこを自分流に解釈すれば、使えます。式までは昔のやり方の通りに立てて、その「式」の読み方を、自分流でやる。自分が新しい哲学を作るつもりで使うならいいと思う。
星には「出る」。これは実感あります。だから「星の読み方」は学ぶ価値がある。そのうえで、私は、自分なりの読み方で読んでます。

自分で作らないまでも、まだ、紫微斗数は、解釈の仕方が柔軟で、応用がきくので、比較的そのまま使えます。で、使ってます。四柱推命は使えません…というか、紫微斗数があれば、要らない。実感として。

西洋占星術は、シュタイナーが使ってた頃の、古代占星術がおすすめです。アリスベイリーさんの本とか。今巷で流行ってるいわゆる「星占い」はだいたいダメです。スカスカの廉価版が多いです。
なので、まぁ、「ちゃんと情報源を選べば使える」というふうにおもいます。

紫微斗数 は、結構面白そうなのに、なぜか日本では四柱推命ほど、普及してない。
多分、少し前まで確実に「女性は男の持ち物」って思想が強かったってことに思えます。

これは、私が習っていた紫微斗数の先生や、あと、今まで出会った同僚からの話によると、「紫微斗数は生まれ時間で占うが、占いに来るお客さんの中で、生まれ時間がわからない人が結構多い。なので、占いの現場では使えないことが多いから、時間まではわからなくても生年月日さえわかればざっくり出せる四柱推命とか西洋占星術をやったほうがいい」という説があるらしい。実際ベテランプロ占い師から「紫微斗数はしびれるくらい良く当たるって聞くんだけど時間がわからないと占えないんじゃあ使えないし、だからやったことないわ」て言われたことあります。ただ、私が紫微斗数を習っていた学校の開祖「佐藤六龍先生」は、「そんなもんな、時間分からんかったら命占いはできへんのじゃ。四柱推命も西洋占星術も、おんなじや。ざっくり出すようなやり方で、出るわけがない。だいたい生まれ時間がわからんなんて、その子の最も大事な情報がないということで、それは親の怠慢や。ともかく、時間も分からんのに占うなんてそもそも無理!!」と、アツく語っておられました。さすがやなと思いましたけどねw

紫微斗数はいろんな命式の立て方があるようなので注意が必要ですが、私は佐藤六龍先生の五術のやり方でやっております。もし興味あれば五術の文献を当たると間違いないと思います。もう五術協会は解散してしまったので、本を探すのは困難かもわかりませんけどね…良い本との出会いも、運だなあと思います。

西洋でも東洋でも、すぐ手に届くところにあるような情報は、一般大衆受けがするような廉価版(つまり混ぜ物ばかりの、似て非なるモノ)ばかりです。骨のある、本物のデータソースは、秘伝であり、なかなか目につかないところに隠されている。

または、あまりにもありふれた、地味すぎる当たり前のようなもので、まったく目立たないようなところにあるのですね。そのどちらかです。

それでいうと、ざっくり見るなら干支だけでもけっこう人柄がつかめますよ!

では、今回はこの辺で!


※この記事は、マガジン「往復書簡【載晋人⇔朝乃玲】」https://note.com/reiasano/m/m479c74763a9e
に収録されています。マガジンを閲覧頂ければ、すべての記事が読めます。ぜひフォローお願いします。

サポートは励みになります。よりよい魔女活動のために使わせていただきます。よろしくお願いいたします。