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FLOWさんの「れいあさんのnoteに思い切り反論してみた」に反論してみる

まず、私の記事である『石丸伸二論』は数々の方に読んでいただき好評を頂けているようでとても嬉しく思っています。

また、そんな記事にまさかの反論をFLOWさんよりにいただきました。
私の記事は、都知事選終了直後になぶり書きしたものでしたが、FLOWさんの反論は非常に丁寧かつ興味深い内容で、楽しく拝読させていただきました。改めて感謝の意を送ります。

さて、反論をいただいた以上、私も反論していかなければなりません。

完全無欠のネオリベラリスト

FLOW氏は、石丸伸二を『完全無欠のネオリベラリスト』という評価しており、その理由として、石丸氏の行動は自分の意思に基づいており、フロー理論に従ったものと分析しています。また、彼の行動や発言は経済合理性を超えて自己の楽しみや充実感に基づくものであると結論づけています。

ChatGPTによるフロー理論

なお、私の主張は「自分主義のネオリベラリストではない」というもので、FLOWさんはこの主張への反論として記事を投稿されました。

そもそもネオリベラリストとは?

ChatGPTによる回答

ということであるが、各項目と石丸伸二の言動が合致するのかを検証してみたい。

1.自由市場経済の推進
石丸伸二は経済成長のために成長分野と人材育成への投資を掲げており、都政による積極財政を考えていたと思われるため、規制はともかく干渉を最小限にしようとしていないためこの項目は否定される。

2.民営化
石丸伸二はこの項目に対する言及がないため評価できず。

3.小さな政府
石丸伸二のこの項目に対する言及はないものの、積極的な財政を推進していくのであればおよそ否定しているようにも思える。

4.グローバル化の促進
彼の行動の目的は日本の経済を守り成長をさせるためであり、グローバルな政策を取り入れる可能性はあり得るが世界軸の自由経済を推進するものとは考えられないため否定していると思える。

以上のことから石丸伸二はネオリベラリストではないと言えると思う。

そもそも自分主義のネオリベラリストとは?

『自分主義のネオリベラリスト』というのはあくまで私の解釈ではあったもの定義をするのであれば『自己経済合理性を軸とするネオリベラリスト』だろう。
例として現代では2種類のパターンが見受けられる

  1. オンラインサロン運営者やYoutuberのといった知名度を自己経済に転換する者たち

  2. Web3領域にて暗号資産やブロックチェーン技術などを用いてDAOといった独自の組織や経済圏を確立する者たち

2においては全てが自分主義とは言えないが、Web3業界で成功をしている者は個人であることが多く、組織として成功しているものが少ない現状からすると、正にWeb3業界には自己経済合理性を高めたいネオリベラリストが多いと感じている。

石丸伸二は自己経済合理性を優先していない

石丸伸二の性格としては自分主義であることは私も否定はしないが、彼が自己経済合理性を優先しているかと言われればそれはNOと言わざるを得ない。
それは、いくつかの事例に当てはまる。

①彼の外部からの収入源は限られている

個人の寄付(個人献金)が選挙ドットコムにって受け付けているのと、Youtubeライブによるスパチャしかなく、グッズの制作や個人の収益になりそうなものはあとは本の印税ぐらいしか個人からのアプローチできるものはない。

②企業献金などは基本的には受け付けてなさそう

ドトール会長からの寄付と借入金が一時話題になっていたものの、選挙後に小田全宏氏のYoutube動画での説明では1銭も借りてないことになっていた。もしかすると選挙活動費のためにドトール会長から借入で資金調達しようとしたが、個人献金がトータル2.7億円集まり必要なくなったのかもしれないという予想をしている。

③スパチャは高額じゃなくて良いとよく訴えている

本人がYoutubeライブにてよく話していたことであり、目的は質問を拾うことであり高額スパチャはしなくて良いと訴えている。

④会員制サービスが用意されていない

石丸伸二の有料オンラインサロンや有料の動画チャンネルといった、上位ランク向けのサービスを提供していない。

以上の事から石丸伸二は自己経済圏を優先していないという事も明白と言える。

結局、石丸伸二はとは何なのか

自分の利益よりも社会の利益

「自分の人生の使い道が見つかりました」
「今までのキャリアはこのためにあった」

石丸伸二の都知事選最後の街頭演説より

地元安芸高田の無投票で決まってしまいそうな市長選。そこに誰かが出てほしい。でも田舎過ぎて誰も出ないだろう…。

普通の人であればここで見過ごすでしょう。自分の銀行マンとしてのキャリアを捨ててまで勝算はあれど当選するかわからない市長選に立候補することなんて普通の人ではできないわけです。なぜなら普通の人は自分の今を守りたくなるからです。

それでも石丸伸二は違います。
彼は自分の利益よりも社会の利益を選ぶからです。

自分(石丸伸二)という人間が社会にどう役立つのか

前の投稿でも書きましたが、彼の強さは強烈な客観性にあります。そして自分と言う人間を冷静に分析し、社会のどこに置けば有用に機能し貢献できるのかを考えて行動しています。その結果が安芸高田市長選の立候補であり、東京都知事選の立候補につながっているわけです。
また、立候補だけでなく、普段からの振る舞いや立ち回りも、全てがどのように影響を与え、自分が機能し社会に貢献していくのかを深く考えて行動しています。

より高みに向かってチャレンジをする

さらに石丸伸二は最大利益を狙うところにあります。
人は自分の想像の範疇に収まる世界に自分を置くのに対し、石丸伸二は人の想像を超えるチャレンジを忘れません。
だから市長を4年弱遂行した後、いきなり都知事というビックチャレンジができるのです。
田舎の市長に都知事が務まるわけがないと人から見たらバカげたチャレンジであっても、彼は真剣に考え勝算があるからこそ都知事を狙ったのです。

他者貢献の素養は幼少期に養われた

石丸伸二の他者貢献性は、もともと子供のころから親に喜んで欲しいという想いが強かった、と本人のYoutubeライブのMeetUpにて語っている。また、ヒーロー像への憧れや、良いものは良い、悪いものは悪いといった是々非々の考え方も幼少期から持っており、自分の事でなかったとしても例えば先生に対してでもおかしいことはおかしいと物申す少年だったと自ら語っている。

社会(利他)と個人(利己)の一体感

安芸高田市で市長をやっていた時に「市長は安芸高田市そのもの」と感じた。だから仕事に対して全力で休まずに「全部やりたい」と自分を仕向けられていたのは自分と安芸高田市が完全に一緒になっていた。それはあえて利他ではなく(利他も含めて)自分自身になっている。

ReHacQ SP石丸伸二・東出昌大対談より

利他と利己のバランスは人によって違う者の、一般的な人間は利他より利己がメインになりやすい。
だが、石丸伸二の場合、ただでさえ幼少期の頃から養われた利他精神に、さらに行動目的となる矛先は大きく社会(利他)に向いている。
自分のやりたいことは自己執着的なものではなく、社会のため(利他)が軸となり、そこに利己となる部分を重ねている。
結果、利他も利己も一体的になり、かつ目標が定まっているため社会のため自分のために同じ目標に向かい真っすぐに進むことができるのだろう。

石丸伸二はジョーカー

石丸伸二には都知事選で得た165万票の得票と、私も含めた多くの支持者が今は支えている。きっと今の状況は彼にとって幸福な状況にあると思うし、彼は彼で自分のやりたいことに集中できているのではないかと思う。
彼には利他と利己という分けもなく、自己執着に捉われることなく、ただただ国や国民のための活動を今後もし続けてくれるのだろう。

そんな彼は、日本の腐敗した政治から生まれたジョーカー(何にでもなれる者)の様な存在なのではないかと思う。

※備考
なお、石丸伸二がフロー理論を理解しているのであれば、自分をフロー状態にしている可能性を否定することができないため、フロー理論の利用自体を否定することはできない。

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