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アートの話をしてもいいですか?その3

前回の投稿で、

アートは、自分の心の声に気がつくツールである、という話をした。

みんなが心が動く瞬間を持っているのだから、それを形にしてしまえばみんなアーティストなのだ。

心を持っていたら、みんなアーティストなのだ。

まだ大きなことは言えないかもしれないが、現時点で

作品と向き合い続けてきて、私はそう思う。

そう考えると、アートというのは、一人一人の人生の表れである。

何を感じ、何に心を動かされ、そしてどう生きていくのかと。

作品一つ一つが、世の中のあなたに問いを与える存在でありたいし、

同時に寄り添う存在でありたいし

嫌われちゃったら、それはそれでひとつの意見である。

千差万別の人生があるように、千差万別のアートがある。

それだけは否応がない。

世の中は気まぐれで、動いているのだから、それが消えたりついたりすることが沢山あると思う。

そして、その人たちそれぞれに生き方があり、
それを否という人もあればよしとする人もいる。

世の中は、そんな個々の集団の集まりなのだから、否と言っていたものが、善になることだって往々にしてある。

長い時間の歴史の中や
今世界中で起こっている社会運動を見ていれば
それは一目瞭然であろう。

大きな時代の流れという川に私たちは生きている。

それ以上でもなく
それ以下でもない。

ただ一つ言えるのは、内側から出すものを肯定した時

それは本当に自分自身にとって、深い深い喜びを生むということである。

それは心の中でじんわりと広がり
自分の中のセーフティネットというか、自信になる。

そして面白いことに
心から楽しんで描いた作品を世に出したときが

一番反応して頂ける。

逆もしかりで、もし自分の内側にある声を
本当に理解してもらえるような
アート作品と出会ったときも同じだ。

でもだからこそ
この世の中に生きているからこそ、

この時代にしか感じられないものがあって、それを生み出すということは

78億人のどこかにいる人、あるいは、祖先たちに伝えるツールとして残ることになる。

この大きな川の流れの中で、何ができるかなんて、誰も予想がしていないし

それがわかっていれば、宇宙や生命体の研究なんて必要なくなってしまう。

物語も、空想も、なくなってしまう。

だからこそ、心の声を描き続けることが、

必要になってくると思う。

そしてそれを必要とする人がきっと世界のどこかにいるということを信じて

アーティストであるならば、自分の足を使って、届けに行く。

挑むのであれば、最高峰のところを目指して。

それが生み出したものの役割ではないだろうか。

内側の声に耳を傾けると、自分自身が強くなる。

そして、その生み出したものが、やがて私の手を離れて、心を動かしていく。

世界のかけらのひとつ一つを、表現で紡いでいき

その一つ一つを形にし、世界を理解していくこと。

それを共有することによって、心が動き、自分自身の人生を肯定していくこと。

それが今の私が考える、アートである。

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