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なぜ書いてしまうんだろう

ここ最近は、日々カクヨムコンに向けて改稿作業に追われている。大幅な加筆修正が入っているし結末も変わる予定でいるので、小説現代長編新人賞へ出したときと比べると違うものになっているような気もするけれど、大筋では同じものであると言えるだろう。

ここのところ色々思うところがあって、小説家になる人っていうのは本当になるべくしてなるもんなんだな、と思い知らされたというか。色々な人のnoteやXを眺めていると、そこかしこにものすごい熱量で原稿と向き合っている人っていうのは存在していて、それと比べれば私の熱量なんて、たいしたことないんじゃなかろうかとか思ったり。

そもそも何年も見送ってきたことを今さらやり出したことに対して、罪悪感めいた感情がふつふつとわいてきたり。

でもなりたいんだよなあ。というところに結局収束していくのだから業が深いなと思う。

今日は書かないでもいいや、と思うのに気づいたらちょこちょこ書いていて、プロットもアイデアも考えなかった日で数えたら約10か月の間で5日もないかもしれないな。それくらい私は書くのが好きなんだなと実感している。今さらだけれど。

なぜ書いてしまうんだろうという問いの答えはきっと、好きだからなんだろう。小説家になりたい、そして書き続けたいと思うのは業の深い夢なんだろうと個人的には考えている。

結局のところ私は子どもの頃からの夢である一廉の人になりたいのだ。誰かの心に残るそんな人間になりたい。だから書くのだろう。

別にお金儲けがしたいとかそんなんじゃなくて(お金が稼げればそれもいいけれど)私はただ、たくさんのひとに自分の書いた物語を楽しんでもらいたいのだな。多分。

だからこうして日々、書いて書いてまた書いてを繰り返しながら生きているんだ。

小説家になりたい人と繋がりたいと思うのは、書くということはどこまでも孤独だからなんだろうなと思う。周りに書く人はそんなに多くないし。

私は天才ではないから、ゆっくりと歩を進めようと思う。どんくさい人間でもどうにかなると信じている。

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