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行商とピアニスト

(2020年5月の記録)

こんにちは、青森の林檎を両手に抱える「りんご売り」の私ですが、昔はジャズピアニストを志し活動していました。(またやり出すかもしれない)

まったくの素人の状態で16才からピアノをはじめ、型なしの私は面白がられ、なんでそんなに演奏スキル高いの?というレベルのジャズミュージシャンと演奏する機会がよくありました。その後、周りの仲間はみなプロになり、(1人はグラミー賞をとる程まで活躍)僕だけがジャズの即興感覚でりんごの行商をやる、などと当時から訳のわからない事を言い続け現在に至ります。

今でもその時の経験は、自分が人と関わる時の基盤になっていると思います。

人が織りなす音楽や芸術表現そのものがとても好きで、音にならない感情、目と心で見る歪みや揺れも音に似た切実さを感じます。

曖昧な美の存在はわたしたちをものごとの意味の外へ連れ出してくれる。

などとそれらしい言葉にうっとりしているうちに振り返れば、コロナウイルスの影響がすぐ側まで近づいて来て、りんご屋も行商ができなくなったり、愛する表現者達のイベントがなくなったり、個展がなくなったり〜たり〜たり〜と言い出したらきりがなくなった。日々こうなったらこうしよう、ああなったらああしよう、思考も後手後手、精神的にぎりぎりな状態になっていきました。

天井が迫ってきてじわじわ潰されるような緊迫感と緊張感。思考の深みにはまっていくような日常の中、意味の外に一旦出て、何が1番大事なのか、大きく長い時間感覚で「今」を考える必要があります。

それならばと久々に即興でピアノを深く弾いてみたり、本を読んで違う意識に入ってみたり。しかし、どうしても今の現状が気になり集中しきれませんでした。

そして、何より世界中の意識が一方向に傾いていくように感じる危機感があった。

意味に振り回される世論ではなく、「個」「個」に暮らしをつくる、世界中の芸術表現者の「今の声」を聞きたくなった。しかしみな一律混乱のど真ん中。世界中の経済活動が止まっていく中、純度がある表現は世界中探しても見当たりませんでした。

経済活動が回らなくなると沈黙する芸術表現に寂しさを感じた。いや、そんな事はない。逆だろう、当たり前が揺れる今でしょう!切実な本物の表現が出てくる時は!とりんごの仲間に熱弁し、若干ひかれつつも講じ続け、コロナの圧が高まるにつれて、その熱も高まっていった。もはや暮らしよりも今、ここに生きた美しい表現をみたいのだ、今、生きるを根底から問い正したいのだと、わかったわかった、となだめるみんなに「だからみんななんかあったらてつだってね」とひらがなで簡単に仲間に伝えてあった。

でも落ち着いてよく考えれば、りんご屋に芸術表現者の手伝いなど来る訳がない。行商だろうが店で売ろうが要は果物屋だ、しかもりんごしかない専門店。  

しかしある日、その想いは急につながった。

近所に配達に行った時、あるピアニストが困窮していると言う話しを聞いた。  

はじめてお会いしたその方は、あるピアニストのファンクラブを統括する仕事をしていると言う。玄関先で今の現状を聞いた。コンサートはすべて中止になり収入が絶たれている。ファンクラブの年齢層は高齢の方が多いためオンラインでの楽曲販売は行っておらず、クラシックのヴィオラ弾きのお父さんと供に収入源がなくなっている。レッスンなども場所が使えなくなり、しばらくはできない状態だと言う。そのピアニストとは、

梯剛之(かけはしたけし)生後一ヶ月で小児癌のため目を全摘し、その後の癌の再発を乗り越え世界的に認められるピアニストとなった全盲の天才ピアニスト

演奏を何度も聞きに行った事があるピアニストだった。ショパンコンクールの特別賞を受賞したり小澤征爾さんと演奏したり、、と経歴含めよく知っていた。CDも持っている、、「あっ、CDの在庫ないですか?」咄嗟に言葉が出た。「あれば全部行商で売ってきますよ。」

「えっ!?それはとても有り難い。それなら1度本人と会いますか?今週末に都の助成金申請に新しい演奏動画を撮影する予定があります。」

その後は流れるように本人に会い演奏を聞かせてもらい、現状の詳細を聞いた。会話の意味を追えばこれからの見通し込みで明らかに現状は切迫しているのだけど、梯さんは本当にユーモアがあり前向きで明るかったので驚いた。全盲のピアニストはこれ位の現状では動じていなかった。今までに命のかかった、もっと大変な山場があったのだろう。

販売当日(東京都府中市周辺)

梯さんは東京都府中市在中。それではと、ゆかりある府中市内で行商する事になった。前日にりんご屋の仲間に梯さんの現状を話したら、手伝いたいと言って数人の売り人が来てくれる事になった。心強く有り難い。りんご売りは普段、車でどこに行商に行っても自分が決めた所までりんごを売り切れる。行商のそれを使って、なぜか今クラシックピアニストのCDを売ろうとしている。もちろん皆初めての事。

5種類のアルバムを預かった。(ソロピアノ作品3種類ほか、弦楽四重奏と演奏したショパンのピアノ協奏曲を弾いた作品、オーストリア在中のヴァイオリニスト、ウォルフガング・デイヴィッドとのデュオ作品)

完売すれば1枚2500円(税込)✕45枚=11万2500円。     

りんご売りと同じように車の後ろのハッチを開いてりんご箱(空箱)を積み、その上にCDを置いて道行く人に1人ずつ声をかけていった。「りんごいりませんか?」が「CDいりませんか?」に変わっただけで、後はいつも通りハートをもって即興で話し伝える。すべてのCDは車のオーディオで試聴できるようにした。 

売り方はりんごの時のようにまとめて売る事はなく、(2種類を1枚ずつ買う方はいた)1人1人に梯さんの現状や音楽との向き合い方、小児癌からの生い立ち、などすべては話さず、来る人の空気に合わせて興味がありそうな話しを抜粋して伝えていった。

結果は8時間程売って完売御礼。お客さんは計38人。

様々な年代の方がCDを買っていった。    クラシック音楽好きなお兄さん、コロナの影響なら応援します、と言う音楽に興味がないお父さん。最近ちゃんと音楽を聴いていないと言う大学生のお姉さん。今日息子が誕生日だからプレゼントすると言うお母さん(ボブ・ディランと同日らしい)フィギュアスケートで浅田真央が踊った曲が入っているからと買っていったお姉さん。そして梯さんを知っているから、と言って買う方々。(声をかけた2割位の人は梯さんを知っている人だった=買うとは別だったが、がんばってくださいと言われた)ほかにも色々な理由とタイミングで買って頂いた。みなさん買って帰る後ろ姿が思い思い違ってみえた。

最後の1枚を買ったのは、車から遠く離れた所を歩いていたお姉さんで、走って行って声をかけた。これも何かの縁だからと音も聴かずに買ってくれた。どんな音楽か楽しみに聴く、梯さんによろしく伝えて、と有り難いお言葉をいただき完売。みんなで拍手とハイタッチをして出逢った方にも心から感謝を述べ、CD行商は無事終わった。

たくさんの方に支えられた1日限りのチャリティ行商だったが、途中1人のお客さんから聞いた話しがずっと心に残り、家に帰ってからも思い出すと複雑な気持ちになった。

そのお客さんは、80才位のおばあちゃんで、しゃんとした美しい姿勢と頭にはコバルトブルーの小粋なベレー帽をのせていた。

「あたしはクラシックにはうるさいわよ」

確かそう言いながら僕の前に現れた。

話せば僕よりクラシックにはるかに詳しく、車から流れてくる梯さんのピアノを目を瞑って聞いていた。

そしてCDを1枚、1枚、表裏何度も返し収録曲をチェックする。優しそうな雰囲気の方だが、思ったり感じた事はズバズバ言ってくる。

「この2枚もらうわ」

「梯さんの事は知ってますか?」

「知ってる、キャリアも充分積んでいる方だし、有名な方でしょ、何より小児癌で全盲になってからピアニストになるなんて、とんでもない事よ」

「そうだと思います、梯さんのコンサートには行った事はありますか?」

「あるわよ、昔、夫と。今は別々だけど、」

言葉を止めたので、次の言葉を黙って待った。

「夫はね、東大の教授だったのよ、ほっっんと几帳面で神経質な人だった、、」

「東大の教授、、」

「そう、でも今は認知症になってわたしの事も忘れちゃった、、クラシックが大好きだったのよ、なんでも勉強熱心で音楽にもとっても造詣も深かった、、」

「今はどちらにいらっしゃるのですか?」

「今日もその帰りだけど、施設に入って看病してもらってるの、若い人に接してもらって活き活きしてるわよ、記憶は曖昧だけどまだ性格は几帳面なままね、」

「そうですか、お父さん今は施設にいるのですね、、そんなに几帳面なんですか?」

「家にある物はすべて線を引いたように置く場所は決まっていたし、、食事の時の器の向きまでうるさかった、、あと、そう、音楽を聞く時は、音量のボリュームまで決めてあるのよ、、わぁっと聴きたい時もあるじゃない?それが今よ、だから買うのよ、家でわぁっと聴くのよ」

この時点で色んな感情が混ざった会話だった。僕は次第に頷くだけになっていった。

「わたしの友達にね、絵描きがいるの、、そうね、、いい花の絵を描く方なの。」

一瞬先を話すかどうか迷っていた、でもやはり伝えておきたいと話しを続けた。

「その絵描きにはね、娘が1人いたの、もう亡くなったけどね、7歳の時、小児癌になって梯さんと同じで目を全摘しないといけないとなったのよ、7歳だから親もちゃんと本人の意見を尊重して話さないといけない」

「はい」としか言えなかった。

おばあちゃんは僕が神妙な顔になったのに気付き、急に軽い口調になり明るく話しを続けた。

「本人に目を取らないと病気で死んじゃうから手術しようね、と話したら『嫌だ』と言ったらしいの、理由はお母さんの絵や描いた花がみえなくなるのは死ぬより嫌、って、彼女は何日もかけて命がかかっているのよ、と説得したけど、何度聞いても『お母さんの絵をみたいから嫌だ』となって、終いには枕元に絵を持って行って寝ていたみたい。それで彼女は2人で決意するの、目を取らないって、、」

おばあちゃんは優しい目で僕の目をしっかりと見て何度も頷いた。

「それでどうなったんですか、その子は」

「死んじゃったわね、1年位で」

「色んなところに癌が転移して?」

「そう、でもね、まだ娘が元気な時、最後に描いた花の絵をみて、きれい!すごく好きって爛々とした目でとても喜んでいたんだって」

「ん〜お母さん、とんでもなくすごい話しです、、僕にも子供がいますが、、その話しは、、」

「だから言ったでしょ、小児癌で目がみえないままピアニストになるなんてのは、親子で計り知れない覚悟がいる事よ、本当にすごい事よ」

「あなたには、誰も知らない間に亡くなった命があったのよと話しを伝えたくなったの、、じゃあ帰って、わぁっと大きな音で聴くわね、声をかけてくれて、ありがと」

おばあちゃんは、りんごの仲間に優しい笑顔で会釈しながらにこにこ帰っていった。仲間の誰かに言った、がんばんなさいよと言う声が最後に薄く聞こえた。

コロナウイルスで生まれた縁から、梯剛之さんのCDを売りに行った数時間で起こったお客さんとの出逢いの話です。

相手の立場になって考えると、むー、となるおばあちゃんの話しですが、終わりとも始まりとも感じてしまう。

世界の意識を一つに繋いだコロナウイルスは、今も世界中のどこかで、日常での在り方を改めて問い直す、確かなきっかけとなっている。