あきらめ
今日もお疲れ様です。
今日は「諦め」について考えてました。
九鬼周造の【粋】の定義に、「諦(あきら)め」「意気地(いきじ)」「媚態(びたい)」があります。
この「諦め」が私は好きです。
Google辞書で
諦めを調べると、
とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。
なんだかネガティブな感じがするのですが、
粋な「諦め」は
世の必然を諦か(あきらか)に知り、世俗への執着を脱した諦めの境地、すっきりと垢が抜けた在り様です。
すっきりと垢が抜けた在り様ってところがポジティブでいいなぁと。
私の人生、周りの期待に応えようと、ずっと他人軸で生きていた気がします。
他人に認めてもらう為の「何者にならなきゃ」とか、「肩書、お金持ち」とか、それに振り回されて足元が覚束なくなってぐるぐる、ぐるぐる感情を回されてました。
何十年もそうやり続けて、今やっと、そんなのどうでもいいやってなれた気がします。
諦めました!
私は他人の期待に沿うことをやめました。だってどうやったって人の期待には応えられないんですもの。やりたいわけじゃないから。
当たり前じゃんって多くの方は思って笑うかもしれないけど、私はずっとそれが分からなかったんです。
当たり前なことなんてないんですよ。
何者にもならない!
これからは自分の幸せ軸で生きていきます。
これがすっきりと垢が抜けた在り様です
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