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気づきの振り子

 心の学びをしていくと、良いことばかりを見ていくわけにはいかなくなってきます。確かに楽しいわいわいとハッピーでありたいけれど、生きていく中で必ずマイナスなこともあるわけで、ある意味それが生きていく中でポジテイブとネガティブな波の繰り返し。その中で魂がどれだけ成長できるかだと思うのです。

 ここ最近、いやここ数年、自分のエゴの部分に取り組んでいて、自分の中の「ねばならない」と思い込んでいたり、ネガティブに思っていたりすることを丁寧に見ていきました。まあ、苦しい作業なのですが、マインドの部分のこのエゴに取り組まなくては、結局蓋をしたところで何回も何回も出てくるわけです。それが生まれた時からの人生の課題でもあったりするわけですから、遅かれ早かれ取り組まざるを得ないことになるのです。逃げれば逃げるほど、現実課題と言うことで雪だるま式に大きくなってくるから、気付いた時に取り組んだ方がいいと思うのです。

 そんな取り組みをしていて、気づくことが日常化するようになってきて、これでスッキリするのかと思いきや、まだまだ玉ねぎの皮を剥くように次から次に気づくことが出てくるのです。ちょっとしんどそうに聞こえますが、確かに最初は心が重たくなってしんどい感じもあるけれど、一皮向けることでスッキリする感覚もあるし、今までこんなことをごまかしていたのかとはっきり自分のことがわかってくるので、剥いていくことの手応えが楽しくなってくるのです。

 それでもここ最近、1日おきぐらいに深い気づきが訪れていて、こんなジェットコースターみたいな心理状態の繰り返しで大丈夫なんだろうか???とちょっと先が見えないことに心細かったのですが、今学んでいる勉強会で、心の気づきはまるで振り子のようだと理解して、ちょっと今の状態がわかりました。気づけば気づくほど、振り子の振り幅は大きくなってスピードも増します。ポジティブとネガティブの感じ方もだんだん強烈になってくるわけです。それでもその感情に振り回されることなく、ちゃんと観察している自分が育っていくわけですから、それはすごいことです。

 そしてとうとう、振り子の振り幅がマックスになった次のことを体験しました。この感覚が今求められている統合という感覚なのだと。ジェットコースターのような感情の起伏やドロドロでそこからもう抜け出せないような感覚をとことん理解したその次に統合の感覚が待っていました。それは理屈を超えて・・・。

 全てはタイミングよくと言われますが、本当にすべての出来事が繋がって繋がって気づきが深まって行くことである感覚に到達するのだと体感できました。これからはこの体感を自分の中で感じ続ける意識を持ち続けることなのかもしれません。死の時を迎えるまで、魂としてのこの世での今世の学びが続くからゴールと言うものはなさそうですが、それでも意識がどんどん変容していくことが面白い今です。

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