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満ち潮と引き潮の変化

 新しい仕事が舞い込んできたり、人の反応が良かったりすると気持ちが満たされ誰でも嬉しくなります。反対に、仕事にキャンセルがかかったり、ネガティブな反応をもらったりすると誰でも凹んで悲しくなります。

 人のことなら客観的に見てそんな当たり前の出来事の反応がわかるのですが、事自分のことになるとその事実と自分の感情的反応をちゃんと切り分けて理解するのがなかなか難しいのです。そしてマインドで思考するいつものパターンにハマると大抵よくない出来事はよくない反応を引き起こし堂々巡りのまたまたパターンに入るような気がします。

 日々祈るようになり、瞑想するようになり、心の安定性を高めていくとあるニュートラルな感覚を比較的保てるようになるのですが、人生という波はいつもウエーブという形でくるので、出来事が静止していることがありません。いつもいつも何かしら変化しているのです。変化という動的連続が当たり前という感覚になるのがまず入り口のような気がします。

 そして次にくるのが、良いことの連続性。シンクロニシティーのよい直感の感覚を身につけます。ちょっと違った時空に入ったかのように、自分にとって必要な出来事がトントンと偶然のように重なり、今までになかった人生の手応えを感じます。

 それから襲ってくるのが、自分の内面性のエゴのゴミのような囚われた感覚がこれでもかこれでもかと次から次へ湧いてくる時があります。あまりの量に自分が耐えきれなくようないたたまれなくなるような感覚が襲ってきます。それでも、それすらを客観的に見れる時がやってきます。流石にこの辺りは一人で歩むには辛すぎて、誰かしら理解してくれるサポーターになる、友人やカウンセラー、メンター、ティチャーが必要になってくると思います。

 そして、アップもダウンも感覚的にわかり初めてくると、突然大きな変化が来ます。それは次の人生のステージが始まろうとしている合図です。その大きな変化は引き潮のようにやってきます。ほとんどが自分にとってあまりにも辛い出来事でやってきます。離職、失業、離婚、病気、死など、思っても見ないことが突然やってきます。その時に試されるのです。

 魂の学びを続けていく中で、必ず誰にもやってくる引き潮。それすらも全て人生の流れだと受け止めて、大きなウエーブを変容として受け入れた時、自分だけの力では開くことができなかった次への扉が開きます。それは、深くしゃがんだからこそ大きくジャンプできるような、ギリギリまで行ったからこそ掴んだ次へのチャンスみたいです。

 私もまだまだ学びの途中。人生で何回も引き潮を経験しました。その度に心打ちのめされて八方塞がりになり、大丈夫なんだろうか?と。しかし、天なる導きは必ず次なるステージへと押し上げてくれました。私はその道を信じて歩き続けるだけです。

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