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今ここの感覚

 ずっと前にぶら下がる目標らしきものを見定めて生きなさいと言われ続けてきた感覚があります。それは現代人誰しも少なからずもっている感覚かもしれません。

 親にはなぜかしら早く大人になるように急がされ、ちゃんと立派にできることを要求されて、今の未熟さにバッテンをつけられて、先生からも100点完璧丸印でなければダメなんだとずっとずっと言い聞かされてきた気がします。

 まだ小学生ぐらいだった頃、家族で夏にキャンプに行くのが通例でした。貧しいけれどささやかなお金があまりかからない家族の楽しみ。今の時代の豪華なキャンプとは比べものにならないお粗末なものでした。

 キャンプの時はいつもの両親とは違うのです。その場を楽しい思い出の一コマにしようと一生懸命で、作り笑顔なのか全て嫌なことを忘れてその空間を作ろうとしていたのかわかりませんが、私は子供心にその虚像の始まりが未来の終わりが来ることを予想していて、「いつこの嘘いっぱいの時の終わりが訪れるのだろう!?」とビクビクしていたのを覚えています。そんな居心地の悪い虚像の楽しさの中にいるわけですから、その記憶はまるでないのです。

 心が未来の不安にいっぱいで今を十分に楽しむことなんてできていなかったのだと気付いたのはもうずっとずっと大人になってからです。

 仕事は楽しくて手応えもあって面白いけれど、いつも先のことを念頭に置いて次はこれそしてその次はこれと追って追って気持ちが走り続けていました。走り続ける中で景色が変わっていくけれど、それはジェットコースターに乗っているようなもので、今自分がいるところより先へ意識を常に置いていかないと楽しめないのです。先へ先へと先行していると何かしらやっている気になってだんだん麻痺していきます。獲物をゲットするかのような感覚になって、ことをこなしているだけで、少しも今に余裕がありません。

 ここ数年マインドフルネスが流行って、今にいる感覚を大切にするという意識が広がりつつあります。それでも世の中はまだまだ先行型に囚われています。

 今、自分はどんな気持ちなんだろうか?
 今、私は何を肌で感じているだろうか?
 今、私の呼吸はどんな感じかな?

 私という意識を自分へ向けた時だけわかる答えです。外へ向ければ向けるほど、遠くへそしてさらに遠くへと意識が伸びでいきます。今ここの感覚は自分の内側へのクエッションをするだけなのに・・・

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