いつものように

 いつもしていたことが出来ないことが多い今。

 お気に入りのショップはお休み。いつもいくカフェもほとんど空いていない。いつも何気なく当たり前に行っていたところへ行けない不便さを今は誰でも感じているのだと思います。

 でも反対に、こんなに当たり前に思っていたことにたくさんの人が丹精込めて回してくれいたのかとも気づかされるのです。いつものようは平穏な日常を作るためにどれだけの人が関わってくれていたのかと思うと本当に感謝しかありません。

 そして今感じるのは、「いつものように」から、変化・変容の時にダイレクトに突然のスタートのように始まったということ。よく、蝶がイモムシからの変態の象徴のように言われますが、小さな卵から生まれて小さなイモムシになるのだけれど、このイモムシだけで5、6回脱皮があって、最終的にぷくぷくした緑色の大きなイモムシになるのだけれど、そこからじっとして蛹になります。いもむしの形が何回か大きくなるだけならイメージ出来に「まあ大きくなる脱皮だよね」と言えるけれど、蛹は全然別物。じっと木の枝にくっついて、そこで蛹となり、一度自分の全てをドロドロに溶かして、蝶という形に変容するらしいです。そして、時がきたらその蛹を捨ててそこから脱皮して蝶へ。今度は大地から離れて自由に空間に飛び立つ。2次元の世界から3次元の世界へという感じです。

 私たちも「いつも」と思っていた安定・安心を確保したいけれど、もしかしたら、これは自然の流れの中で、人間の心の変容を余儀無くされている気がしてなりません。「いつも」から変わるためにはいろんなことが起きます。今までの延長線上では考えられないようなことが全てにおいて起きてくるから、最初はそれに適応出来ないからパニックになりかけます。ダイビングのインストラクターをしていたことがあるのですが、ダイビングで死なない人はパニックにならない人。パニックになると状況判断を瞬時にしないと生命の危険にさらされるダイビングでは致命傷なのです。今の変化にそこまではないにしても、「いつも」ではないからとパニックにならないことがまず大切だと考えます。

 「いつも」でなくなったら、「じゃあどうすればいいのか。どうしたいのか!」を自分に真剣に問いかける時なのだと思うのです。外の情報に踊らされていても、目に映るのは恐怖へ誘う出来事か、それを誤魔化そうとするものが多いような気がします。

 人間にはどんな状況になってもそれを打破し成長するために考えられる力が備わっていると思うのです。原点に返って、自分感覚を今一度磨いてどの方向へ導かれて行ったら私の生命が喜ぶ方向へいくことができるのかを真剣に突きつけられていると思うのです。

 いつものね
  そんな中にと
    後ろ髪
 気づきの時は
   今まさにここ

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