流れの中で

 夜、娘と散歩した。なんとなく二人ともコミュニケーションをもっとしたい気分になっていたので、それもいいかな・・・と歩き出しました。近くのコンビニでいつものようにコーヒーを片手に歩こうと思いました。娘にはコーヒーを買ってあげる約束をしていたので、買いました。いつもだったら自分の分も買うのだけれど、なんとなく買う気になれず辞めました。

 コンビニを出てすぐ娘が一言。「今日のコンビニのコーヒー美味しくない。」水が悪かったのか、豆が古かったのか、美味しくないものでした。だからなんとなく買う気になれなかったのね。と納得。そしてほんの数分歩いたところでポツポツと雨が降ってきました。傘を持たずの散歩だったので、諦めて帰路へ。

 なんとなく寄り添って腕を組みながら歩くことがよかったのだと思うのです。こんな形だからこそのスキンシップってあるし、べったりくっつきたいけれど、家の中で家事に追われてしまうとできなかったりすることもあるので、これが自然の流れの中で大切だったと思うのです。

 今日、ワークショップの中で、日常にアンテナを張る話をしたのですが、ほとんどの人は、目まぐるしくすぎる日々の表面的なところしか見ていないことが多いので、日常の些細な出来事と心の動きを感じていくことが大切だという事を伝えました。心の学びを始めたばかりの人にはそれはとても大切なことで、最初は練習が必要になります。今までにない習慣なので意識しなければアンテナは立たないのです。

 しかし、仲間のメンバーはもう何年も私と一緒に日常の些細な事にアンテナを立てて、メッセージを読み取り、自分で感じる努力をしてきたので、アンテナ感覚を通り越していました。そう、アンテナのようにピンとセンサーが立っている感じではなく、自分の身体全体が大きな球に包まれたような感覚があって、出来事のウエーブがいろいろなところから波のように流れ込んでくる感覚で、その流れの中の何かをぽんわりと漂いの中にキープしているような感じなのです。

 よくフローの中で生きると言われるのですが、多分、アンテナを立てて人生の出来事から何か学べる事を良きも悪しきも受け取る練習を進めていくといつの間にか、その流れじたいが読めてくるというかわかってくるのだと思うのです。人はすぐそのフロー状態を羨ましがってすぐに掴めるもののように思っているようですが、それは最初はコツコツと神経を立てる、アンテナを張るところからだと思うのです。

 フロー状態になってくると、出来事を俯瞰して大きく見ることができる感覚が生まれてくるので、物事に一喜一憂することが少なくなってきます。嬉しいとか悲しいという感情はもちろんあるのですが、その感情に振り回されることが少なくなってきます。特にネガティブな感情に支配されることはほとんどなくなり、その感情を見つめ、それが自分に語り意味を味わえるようにだんだんなってきます。その段階に入ってくると日々が面白いのです。

 誰でもできることで、ちょっとしたコツはあるけれど、先を歩いている人から十分伝授できる感覚なので、仲間がいたら身につけやすい感覚です。流れに乗ることができたら、次の流れがどんな風に来るか、また面白いのです。

ありがとうございます。サポートいただいたお金はワークショップ開催等の費用に充てさせていただきます。