見出し画像

自粛解除で変わり始める生活。母親であり職業人として

自粛解除の地域も出てきて、東京もそろそろ元の生活に戻る(ここらへんはどうかはわからない)気配が漂ってきた。

来月の取材のアポも「対面で」ということになり、ひさびさ社会に出て行くような心持ちでやけに緊張感が走る。関係者も多く集まるため、そのなかで舵を切り、うまく話を引き出していけるのかと、どうしようもない不安を感じている自分が情けない。

新しい仕事の紹介もあり、これまた育児のために封印していたような類の仕事であるため、受けるかどうかさえも迷っている。

仕事方面が徐々に動き出して、なんだか不安になってきている今日このごろだ。

しかしそれは外出自粛で身も心もこもり切った生活から外へ出ることへの不安というよりは、このタイミングで「母親であること」へのプレッシャーをそろそろ解いたらどうだと言われているような気がして不安を感じているような気もする。

自粛期間はちょうど仕事も減ったので、「ある意味ラッキー」(不謹慎だけど)と思い、子どもとの時間を過ごしていた。

けれど、来月からは「母親」から「職業人」へとスイッチを切り替えて、再び仕事に向き合うことになるわけで、そうなると「このまま同じ場所で足踏みしているわけにもいかないな……」と感じ始めている自分にも気付く。

自粛期間中はつくづく思い知らされた。私はもっと仕事がしたいんだなと。

コロナ関係なく「夫は通常モードで働けるのに、なぜ私ばかりが……」と、そんなどうしようもない気持ちにかられて、イライラしてしまうこともあった。

毎晩0時過ぎにしか帰宅しない多忙な夫を前に、私はずっと言葉を飲み込んできたし、だけど「今のままじゃいられない」こともずっと感じている。

娘を授乳しながら夜中にラフを書いて、原稿を書いて、眠れない日々に限界を感じて色々バランスをとって今に至るけれど、あとほんの少しだけ“チャレンジ”という要素を今の生活に織り交ぜていいのかもしれないとも思う。

このバランスが絶妙に難しいのだけれど……。

そういえば、こないだ母親のメンタルヘルスについて女性医師を取材したとき、「子どもを犠牲にしてまで働く私はダメな母親」と感じている時は、裏を返せば仕事にやりがいを感じられていないケースが多いと言っていた。

余計な心配ごとをして、仕事に向き合う自分をごまかしてしまうのかもしれない。

そもそも犠牲のない人生なんてないのかもしれないけれど、「犠牲」はただ辛いだけじゃなく、過ぎ去れば「犠牲」と感じていたものに色がつき、そこからプラスに発展するものもあるのかもしれない。

……と、育児をしていてそんなことを思うようになった。

陳腐な言い回しだけど、自分の人生は誰のものでもない。何事も選択をするのは自分自身なわけで、たとえマイナスに感じるような選択さえもプラスに転換していきたいといつも思っている。

ならば、やっぱり怖気付かず、ただ純粋な職業人として、まるで4月をやり直すような心持ちで新しい一歩を踏み出してみたいと思う。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?