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連載「意味の流れとしての世界」

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「意味の流れとしての世界」0~6 拙いところもありますが、自分の中でかなり重要な内容を繋げて書いた記事たちになります。 時間論、モノ論、生成論、人間関係論、精神と物質の関係 …
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2022年1月の記事一覧

③ 象徴としての"モノ"

象徴としての"モノ"モノ(物質)は本来「奥行き(物語)」を含んでいる。  言語化できずともなんらかの理由が存在して手に入った"モノ(物質)" / 買って得られた"モノ"はその役割が終了するまで使われ続ける。 手に入れる理由は明示的でなくても、潜在的でも良い。むしろ潜在的な理由であることの方が多いと思う。 そうして、潜在的な理由をもって 買われる / 手に入った モノは、ある意味で"象徴"として機能する。"象徴"としてのモノには隠れた物語や前提という「奥行き」が存在する。

④ 集団内の物語は、集団の「外」に支配されて展開される。

前の記事    集団(これは国家の規模から、小さなコミュニティまでを指します)の対立は、まず内部のいがみあい、責任はどちらにあるのか?そんな話からたいてい始まります。 対立の解消に向けては、 まず、あの人と比べて自分は優れてる? 劣ってる?そんな話は置いておくことが重要です。しかし、それすらも難しいのが、対立です。では何をしたら良いのか?どう考えたら良いのでしょうか? まず自集団が集団の"外"の世界の長期変化(外環境変化)に対応できてゆくか?に目を向けることで、あらゆる

⑤ "モノ"はストーリーと共に展開する。

前の記事 モノはストーリーと共に展開する。 完全に人間の内面だけでは内面の話は一切完結しない。 つまり、モノ(物質)が、人間個人の意志も象徴しうるし、人間同士の関係性も象徴する。 モノの方に、つまり人間の"外側"に自分の心がある。とまで捉えてみるとしっくりくる。 あるモノをどう配置し、どこに置き、何を置き、誰と置くのか?そこにすべて端的に内面世界で展開されてきたストーリーが現れるように思う。物を通して、精神の「相」が現れる。 モノを通して、人と人の尊重と和解も現れる