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集合住宅の自治会会議でつるされた話


グループホーム職員として働いてた

以前、福祉職をやっているときに、市営の集合住宅を利用したグループホームの世話人をやっていた。利用しているのは大小知的障害のある人6名で、自分が就職していた法人が、まっとうな手続きによって市営住宅の抽選を受けて借り、そこを障害者向けグループホームとして運営していたのだった。
騒ぐような利用者は幸い居なかったのだが、自分で生活をコントロールすることが難しい人や、最終的に暴言や暴力を抑えられない人もいたし、知的に加えて複合的な身体障害で日常生活に支えが必要な人もいた。体重の重い利用者が、音楽のリズムに合わせてベッド上でドッタンドッタン跳ね回ることもあり、クレーム対応したことも何度もあった。

市営住宅における雑務当番

市営住宅では、回覧板の管理回収や施設維持のための無償労働があり、それらは住人によって持ち回りで担当することになっていた。家賃の安さは自治体からの補助に加えて、そういった施設全体保守業務について住民でやるといった前提で成り立っており、利用に応募する人間は全員それについて同意しているとのことだった。
家賃の低減分の一部で自治体が外注でもすりゃいいじゃない、と当時の自分は思ったもんだが、たとえば、何か集金が必要になったとして、平日昼日中に各家を訪問して打率高く集金ができるもんでもない。コミュニケーションをとりながら、在宅時間を狙いすまして波風立たないでおけるような柔軟かつ小さい仕事をするという非効率なやり方が結果的に効率よいことが少しずつ理解できるようになっていた。9:00-18:00で人を雇っても達成しづらく、そのくせ雇うに値しない仕事だったので仕方なかったのだろう。
「とはいえなんとかしようがあんじゃないの」と誰かが、大勢が、思ったところで、すでに存在している制度に対して何かアクションをするほど、この施設・制度・自分以外の住人達に愛を持っている人もいなかったように思う。大体の人間は、集合住宅で一生を過ごすような気持ではなかったのだろう。まあわかる。

やりたないわなそんなことな

それでいて実際のところ、家賃の安さ以外なんの前提条件も頭に入れていない人間が応募してきて、抽選パスして入居したが最後、ライフスタイルを理由に、あるいはなんの断りもなくこの約束事をひっくり返す人があとを絶たず、その代表が中国人韓国人ベトナム人といった外国人と、日本語を読めるのに理解を放棄した一部激ヤバ日本人だった。
この市営集合住宅には、そういった集合住宅の掟を守らない人間に対して圧力をかけることができる自治会が存在しており、市営住宅のルールを守らない人間は呼び出されてつるし上げをくらわすようなことがあった。
ここで一つ地獄の様相であるが、そもそも自治会の人間自体、主事業以外金の発生しない仕事が増えるということなので、ある程度声が大きくて長老化しているような人たちの中で押し付けあっているような状態だった。投票によって自治会長が選ばれた現場を見たことがあるが、選挙人は自分以外が選ばれたことに「これであと1年やらなくていい」と安堵している様子に見えた。そんな感じで、全員で利益を享受するという意識より、損を納得感を以て分割するという意識によって、そこそこモチベーションが保たれていた。
加えてもう一つ地獄の様相として、小さな仕事、ご近所との連携、支払うべきものに対する無視、イベントごとの不参加・不協力といった、協調性に欠いた外国人などにとって呼び出しの無視や暴言逆恨みなどは日常茶飯事だった。
よって、損を平等に分担できないし、これからもその実現が難しいという、
平等を実現できないというフラストレーションが常に薄く存在する中で自治会は運営されていた。

結果、年数が経過するごとに、自治会の掟に対する例外処理が増加していった。何人暮らしであればとか、日本語の理解がとか、入居~か月はとか、普段の生活時間がとか。
そのうちに「社会福祉法人が事業として利用する場合において」も入れてもらっていた。利用者は日中、全員近くの生活保護施設で日中過ごしているし、そもそも業務を理解することができない。世話人である法人の職員は集合住宅で生活をしているわけではないし、複数人出入りするため、リアルタイムですべきごとを把握することは難しい。さらに、福祉職の離職入職のターンは激しい。申し送りで実現するのはとても難しいことを理解してもらっていた。

といったことが、入職3年くらいしてやんわりとわかってきた。

自治会会議に雰囲気で出席

ある日、自治会から法人に対して、中々の勢いで呼び出しがかかった。あるタイミングでの会議に出てきてほしい、とのこと。共同生活援助の名前だけ責任者だった自分が行くことになった。
まあろくでもないことなんだろう、と思いながら出席すると、絵にかいたようなつるし上げを喰らった。
法人が自治会の会合にあまり参加しないこと、当番業務から逃れていること、障害者が利用していることにそもそも納得をしていないこと、法人側から妥協点を出してこないこと、職員の駐輪場・駐車場の利用マナーがなってないこと、利用者は上下左右の隣家に挨拶がないなど。住人とのコミュニケーションを取れていないゆえの、修正されることなく放置された噂の類を、いろいろな不満に合わせて数人から数十分間ブチまけられた。
この中には完全な嘘がいくつも含まれていて、しかし味方は誰一人おらず、住人たちのガス抜きと損の分担に熱は一方的に燃え上がり続けて、中々タフな現場になった。嘘はダメだけど、心情はまあわかるしな。
自分の中の長州力が「おいそこ跨ぐなよ」と序盤から思っていたが、結構ストレートな障害者全般への差別発言も飛び出し、福祉に熱くない僕は『まあこれ言いたい人間のための場なんだからしゃあないわな…』と、やんわりと否定する程度にとどめたくらいで、あとは「サーセン」「持ち帰って理事と検討して一週間以内に返答イタシャス」と頭を下げ続けた。不良外国人のどうしようもなさに対しての不満も、合わせて法人が引き取ることになったのだろう。

持ち帰って法人で会議にかけ、実現できそうな範囲の自治会業務を丁寧な申し送りによって実現することを約束する内容で返答した。返答の際には、つるし上げに対して罪悪感を感じたんだかどうだか、簡単に言うと『あ、アンタが悪いんだからねっ!』と軽く追撃もされた。

集合住宅内にある会議室に入ったときの、『殴っても合法の奴が入ってきた』という視線は、自分の特有の被害妄想によるものなのかな、と考えていたところ、「ところで社会福祉法人XXXから、ずっとお呼びしてても来ていただけなかったんですが、やっと、やあっと、今回来ていただきまして」と口火を切ってからの差別発言までのリードタイム、短かったです。

どうしようもないので腹だけ立ってる

で、まあ、自治会嫌な連中だぜ俺は忘れないぜチクショウっていう内容の話ではなくて(あるけど)、最終的に問題解決の手段としての、僕という個人を法人の意思の集合体とみなして、会議によるつるし上げに至る経緯って、どのポイントに至っても解決難しかったんだろうなと思ったのです。
どうしようもなさが地獄。

初めはきっと、集合住宅の平穏を目指して、おそらく信頼された人選でもって結成されて、前向きに運営されていた。でも時間を追うと、義務感だけが受け継がれていって、住む人も文化も変わる中で、納得感のある損を追求する組織になっていった。
法人の初動の対応はどこかで間違っていたんだろうと思うし、それに対して不満を募らせる住人もわかる。突き上げ喰らって動かざるをえない自治会もわかる。呼び出された僕は、経緯をよく知らないまま会議に出席して、その場でクリティカルな解決方法を出せないでぼちぼち損してる。勢いついて差別発言が出たことを聴いた理事長ブチ切れ。利用者はただ損してて、ごねて損から逃れた人間だけが幸せになっている。
淀んだ水たまりでしかなくて、これをどこから手を着けて解決すればいいんだか、想像するだけでおぞましく面倒くさい。そして確かなことは「すっげえ怒鳴られて損したな俺」という気分だった。

誰かが「はいちょっと今のままだとここのモラルやばいっす」って手叩いて、かつ正しい方向に先導せんとだめだった。そんなことって、そんなことって、どんだけ徳を積んだら起こってくれるのよ。
だから、会議で怒鳴られる自分が発生することは、なんか運命的でどうしょうもなかったな、と時々思い出します。
そして、「『ここから始まって、やがてこうなる』という運命的なもの」って、社会ほんまに、ほんまにこういうこと多いよなって、ムカついてくるんですよね。

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