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生成AIにまつわる問題と、"regulus"という名前の鳥籠

皆さん、いつも応援してくださってありがとうございます。
regulusです。

僕自身が想定していなかったことではあるのですが、お話しなければならないことがあり、記事を書かせていただきます。

先に心配をおかけしないよう明記しておきますが、今後、僕が創作活動を辞めたり、皆さんが僕の創作する新しい音楽を聴くことが困難になったりすることはありません。

しかし現実に、YouTubeチャンネルで僕は活動停止を表明する状況になっています。活動休止か終了かは未だ決断しておりません。そういう意味では、ひとまず休止だとも言えますが。

そのような状況を生んだ直接的な原因は、AIによるイラストを動画に使用したことでした。そしてAIイラストの是非を巡る中で、否定的な意見を多く頂戴したことにより、これ以上の状況悪化を避けるために活動停止を表明しました。

僕の音楽のみに関心があり、AIイラストの是非には一切の関心がない方には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、そういった方には動画ではない形で音楽をお届けできれば、報うことができると考えていますので、何卒ご容赦ください。

今回の記事では、大きく分けて、AIイラストに関する僕の所感と、僕自身のregulusという名前での創作活動への向き合い方、という二つの話題でお話をしたいと思っています。

まず、AIイラストに関して背景的な部分を説明したいと思います。

僕の個人的な立場としては、AIに限らず技術的な進歩によって得られる新しいツールというのは最大限活用するべきだという考えのもと、法的あるいは倫理的な問題を抱えていない範囲内で、自身の創作活動に取り入れていけばよいという意見を持っています。

上記のような言い回しであれば、これに賛同しない人はあまりいないでしょう。では何が問題になっているかというと、著作権法に違反しない前提だとすれば、争点となるのはAIが著作物の学習を行うことの倫理的な問題ということです。

世界で比較してみると、現在、AI企業数で圧倒的に優位に立っており、かつ生成AIに対して国民が慎重で厳しい態度をとっているのがアメリカです。次いで中国がAI企業数で多いものの、中国は生成AI対して相対的に寛容で緩い態度をとっているようです。

僕の主観ですが、こういった国々ではAIに対する国民の積極性というものが、少なくとも日本よりは高いのだと想像しています。

日本はAI企業数でトップ層に入っているわけではなく、国民の関心もそこまで強いものではないと言えます。生成AIに対する態度も、アメリカと中国の中間のような温度だと認識しています。もちろんどの国でも、それぞれ違う意見の人々がいて議論をしていますが、国全体の一般的な空気感での話だと受け取ってください。

実際に、僕が受け取った否定的な意見は英語圏の人々によるものが大多数で、日本人だと思われる方からの(少なくとも日本語による)否定的な意見は見られませんでした。ただし、それは僕のYouTubeチャンネルの雰囲気として、英語が公用語のようになっていることへの配慮かもしれません。

具体的に、AIイラストの是非に言及する前に、これらの地域的な違いによる背景を考慮する必要があります。ソーシャルメディア上で発表している時点で、まずグローバルな環境に作品が晒されることを理解し、かつ視聴者層に地域的な偏りが生じる場合は、価値観の摩擦が生じやすくなる事実も認めなければなりません。

結果的に言えば、僕はAIイラストという存在そのものが、現在において議論を生みやすい敏感なトピックであるという認識が欠けていたと反省しております。音楽と関係のない要素で、面倒ごとを生み出すリスクは懸念しておくべきでした。

続いて、AIイラストの使用に関する、僕の個人的な背景の説明をします。

ご存知の通り、僕は長いこと歌声合成ソフトを使用した楽曲制作を続けています。そしてそれは現在において、AIによって歌声を自動調整してくれるまでに進化しており、僕は積極的にそのような技術を取り入れるようにしています。

かつては初音ミクV2、V3、V4Xといった着実な進化に伴ってクオリティの向上を実感しながら、しかし手作業による調声という労力は支払って当然のものだと考えて制作を行っていました。

状況が大きく変化したのは、Synthesizer Vというソフトの登場により、クリエイターが手作業を施す必要なく、ほぼ完璧な歌声が出力されるようになってからです。僕はその時、ああ時代は変わったのだと感じながらも、過去の長い時間と共に費やした労力を無駄だとは思いませんでした。

全く同様のことは、ミキシングやマスタリングの作業においても生じました。やはり技術的な進歩により、誰でもワンクリックでプロレベルの成果を得られるようなプラグイン(ソフトウェア)が次々と誕生しました。

もっと言ってしまえば、実際に音を鳴らしているソフト音源ですら、半分ほどはメロディを打ち込むこともなく、あらかじめ用意されているようなループを上手いこと変化させて楽曲に使用しています。

何が言いたいかというと、創作者が創作物に投じている技術的な能力や時間は、科学技術の進歩によって、どんどん無くなっていっているのです。

恐らく、DTMという科学技術の最先端みたいな環境で創作しているクリエイターたちは、この事実を肌感覚でよく把握していると思います。

現代においては、クリエイターは自らの作品に対する「創作的寄与」という程度を大真面目に熟考する必要があり、そしてその本質は技術的な面ではないのだと僕は考えています。

日本には職人という言葉があり、これはクリエイターとは違うものだと認識しています。今までは、芸術作品を生み出すクリエイターに、職人的な側面が包括されていたことは事実だと思いますが、AIを始めとする科学技術によってそれは肩代わりされ始めています。

つまり、人間が汗を流して獲得してきた技術的な表現方法は、科学技術によって代替される際に、それでもなお成果物のクオリティで勝っていないと必要とされなくなっていくのです。

汗を流して技術を獲得してきた人間からすれば耐え難い事実であると思いますが、時代に適応せず過去のまま停滞していては、最終的に余計に自らの立場を危うくし、取り残されてしまうリスクを生むことになるでしょう。

イラストにおいても音楽においても、僕は同じだと思っています。

よく「あなたの音楽がAIによって同意なしに学習され、他人が自由に使えるようになったら、それを許せるのですか?」という旨の質問というか批判が届くのですが、それに対して僕は「仕方がない」と答える他ありません。

仕方がないんですよね。泣き寝入りして、何か変わりますか? その間にAIは更に進化していくだけです。

イラストは早い段階でその波に呑まれる状況が到来していますが、音楽も間もなく同じようなことが起こるはずです。歌手は、人間とAIで聞き分けが困難になり、歌手の仕事は大きく減っていくでしょう。楽器演奏者も同様です。レコーディングに呼ばれる人間の奏者は激減するのではないでしょうか。

人生をかけて技術を習得してきた人間にとっては、崖っぷちに立たされるような時代の変化だと思いますが、しかし時代の変化というものは無慈悲に進行するものです。

今となっては、Excelというソフトがあるのに紙とペンを持って筆算している人なんて、どこにもいませんよね?

第4次産業革命という認識を持たなければなりません。今まで当然と思われていた芸術的創作物はその技術的な範囲内において、敢えて、高価な金額を支払わなければ人間がわざわざ作るものではない、という認識に変わっていくはずです。

何もかも、最終的にAIが人間と遜色ない技術的な供与をする世界が訪れたとしましょう。その先にある人間の著作性とは何なのでしょうか?

僕は価値観やメッセージだと思っています。そして、それを表現する形態を今まで人類は様々な形で選択してきて、選択した内容に応じて表現するための技術を蓄積させてきたのです。

小説、映画、イラスト、音楽、動画、様々な分野に様々な技術的な蓄積が行われてきたわけですが、AIによって一気にその敷居を下げられることになります。だとすれば、私たち人間はいちいち分野に固執する意味もなくなります。技術を学ぶ意味もなくなります。

よりメッセージの内容や、価値観の大切さに焦点を当てることになり、その本質的な価値という部分にこそ、対価を支払うようなシステムが望ましいのだと僕は考えます。なぜなら、今まで高い技術によって支えられてきたクオリティという点に報酬を支払う意味がなくなるからです。

長くなりましたが、僕はこのような考えを持って現在の創作というものに向き合っています。ここまで読んでくださった方なら、「クリエイターの当事者として、素晴らしい音楽を生み出す貴方が、AIイラストを使用することに本当にがっかりしている」というような意見を僕が受け取っても、的外れなことを言われていると感じることに、納得していただけるのではないかと思います。

その「素晴らしい音楽」と呼んでくださっているものも、もう間もなくAIが生成するようになると思いますよ。

そしてここからが、本題です。

他者の著作物を同意なしに学習し、その作風を模倣して新しい作品に反映させることは倫理的に問題なのか?

ということですが、これはケースバイケースとしか言いようがないと僕は思います。明確に問題だと言い切れるのは「著作物の複製」ですが、そのようなことは火を見るよりも明らかです。

議論になってしまうのは「作風」や「スタイル」というものが、その著作者を決定づける唯一無二な要素なのかが不透明だからだと言えるでしょう。

もし、僕の作る音楽を参考にした上で本当にそっくりな作風で、別の方がオリジナルと言って作品を発表していても、メロディや歌詞が複製されていなければ、僕は何とも言いません。「うわぁ似てるなぁ」とは思いますが、似てると思うだけで、権利侵害を訴えたりできるはずもありません。

これから何か新しい作品を作ろうと夢見ている初心者が、創作物の指標として、世間的に評価が高いとされている他者の著作物を参考にすることは当たり前のことだと思います。その上で、当該の著作者に毎度参考にしてもよいかと同意を得るとは到底考えにくいです。

仕事などにおいては、よく「先輩の良いところを見て盗め」みたいに言いますが、それと同じではないでしょうか。先人の知恵や技術を模倣して、自らの経験値とすることが特段悪いことだとは思いません。

むしろ自分が築き上げてきた土台を、高速で模倣して追い上げてくる後輩がいる方が、互いに切磋琢磨し更に高い段階を目指すことに繋がると思います。

これを創作活動の技術的な側面に絞って、権利の侵害だ、倫理的に問題があると叫ぶことには、僕は違和感を持ちます。

AIの登場によって、我々が安泰だとあぐらをかいて座っていた質の基準線まで、初心者が一気にぐっと近づいてきたのです。我々にとっては予期せぬ形で、しかし避けられるものでもなく、安泰と思っていた堤防は決壊したのです。

もしそれによって優位性や、収入を得ていた創作者はその地位を揺るがされることになります。誰でも同じことができるようになるのですから。

他人事みたいに言っていますが、僕もその当事者です。イラストレーターではなく作曲者なので、危機に立たされるのはもう少し先だとは思いますが、それが何年後かはわかりません。もうすぐ、ということは確かです。

この辺りから、今回の記事でお話しようと思っていた、二つ目の話題に言及し始めます。つまり、僕のregulusという名前での創作活動への向き合い方についてです。

結局のところ、第4次産業革命によってもたらされる変遷の過渡期に跨っている我々は、ある程度状況が落ち着くまでの間、創作活動を収入の本命にすることはとてもリスクのある選択だと言わざるを得ません。

僕は音楽を夢に持って、就職活動をせずにフリーターとして働きながら生活していますが、今後音楽が収入の本命として機能するのかどうか非常に不安です。

AIイラストを動画に使用したことによる批判をきっかけとして、一度YouTubeでの活動を停止する表明をしましたが、それは同時にregulusという活動は何なのかと考える機会にもなりました。

そもそも僕は中学生からregulusという名前で動画を投稿してきました。それから今までの間、一瞬たりとも、regulusが金銭的に僕を支える活動になった瞬間はありません。

音楽による収入がゼロという意味ではなくて、regulusがなければ生活できないというような、経済的に依存する要素ではなかったという意味です。

そういう意味では、今までもこれからも、この活動は自己満足であると言えます。好きな作品を好きなように作って、せっかくだから公表する。そういう向き合い方が本来あるべきものです。

しかし、活動を始めてから早くも14年目。これだけの期間があれば、ちゃんと有名になれる人であれば、とっくに売れていると思います。しかし、僕はそうではありませんでした。

また、初音ミクという存在も無視できないものでした。初音ミクを使用した楽曲は明らかに再生回数が多く、知名度が低いボーカルだと再生回数が増えにくいという事実を僕はよく知っています。

最初のうちは良かったです。というのも、初音ミクが僕の理想とする作品の形として機能していたからです。その時点で最高のパフォーマンスを発揮する歌声合成ソフトだったので、迷うことなく使用していたし、その副産物として再生回数も増えました。

だんだん、僕が理想とする作品の形は初音ミク以外の歌声合成ソフトに移っていきました。そうなると、知名度が低いものであるほど再生回数は少なくなり、更に動画に使用させていただけるイラストも少なくなりました。

話をまとめると、僕は僕の作る音楽とは関係のない部分で再生回数を支配されているような感覚をどんどん覚え始め、キャラクターの知名度やサムネイルのイラストで当たり前のように数字が変わる事実に辟易としていました。

近頃は、別に動画を投稿してもしなくてもどっちでもいいや、くらいの感情になっていたことを告白します。せっかく作った曲を投稿することにデメリットはないので、一応投稿しておくくらいのつもりでした。

数千回という再生回数が多いのかどうかは人それぞれだと思いますが、どちらにせよ未来がないという感覚は拭えませんでした。

だから、最終的には結局、自己満足の世界でした。自分のために作品を作っていました。一瞬、AIイラストによって自分の思い描く世界観に非常に沿った動画を表現できると心が躍り、またモチベーションが急上昇しそうになったところ、やはりそれも打ち砕かれました。

そしてふと、気付いたのです。いつしか動画の投稿が創作のゴールになっていたのではないかと。制作のプロセスの最後に来る内容が動画なので、勘違いしていました。

メロディと伴奏を作る。歌詞を書く。ボーカルを作る。ミキシング・マスタリングをする。イラストを探す。動画を作る。投稿する。

でも違いますよね。というか僕は何がしたいんでしょうか。本質的には音楽でなくてもいいはずです。

僕は、"regulus"という名前の鳥籠に囚われていました。

自由ではなかったのかもしれません。もし、今、regulusという名前を完全に捨てて、好きに自分の時間を使って、好きに作品を作れるとしたら、凄く楽しい気分になります。何でもしていいんだと、気持ちが晴れ晴れします。

これは例え話なので、本当に名前を捨てたりはしません。でもいつの間にか囚われてしまっていたその鳥籠を壊すことは、少なくとも必要なのかもしれません。regulusという名前のままでも外に羽ばたけるように。

動画とか、再生回数とか、コメントとか、反応とか。俗物的なことばかり、regulusという名前の周りに浮かんでいました。それが鳥籠となっていました。伸びないのに何してるんだろうみたいな、ストレス。

作品と僕だけの、本当の1対1の閉じた世界、それが理想だったのに。

AIイラストを使用したら沢山批判されて、活動停止を表明した。ああ、馬鹿らしい。言ってしまいました。でも、馬鹿らしい。

この文章をここまで読んでくださっている少数の方は、僕が伸びないとか言っている中でも作品を気に入ってくださっている、本当の意味でのファンの方です。心の底から感謝してやまない大切なファンの方なのです。

だからこそ、ここまで赤裸々に白状し、訴えかけます。

やはり作品を作り続けたいです。しかしやり方は見直したいです。待っていてくれますか。名前が変わったりしたら、追いかけてくれますか。

色々な可能性を今は考えています。とりあえず、方針が固まるまではFANBOXに楽曲をアップロードすることで活動を続けていたいと思います。

いつも応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。

2024.03.12 regulus

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