近況報告と、本当の音。

どうも、regulusです。

今回はいつものような、僕の作品についての記事ではなく、僕個人の近況報告をさせていただく記事にしたいと思います。

ただ、それだけだと普通の人の日記みたいになるので、音楽をやっている人間として、ある曲を紐解きながら同時に話を進めたいと思います。

KOKIA - 本当の音

※紹介のために動画を貼りますが、なるべく正規の方法でご視聴ください。

この曲の内容について、本来ご本人が伝えようと意図したこととは異なっている可能性があります。

ただ、僕自身の作品についてもよく発言しているように、僕は作品の「解釈の幅」を聞き手ひとりひとりが持って然るべきだと考えています。

タイトルでもあるこの曲の「本当の音」という言葉は、おそらく"本質"というニュアンスで捉えるのが、本来適切だろうとは理解しています。

有り余る情報に流されずに、自分自身で本質を見極める。「世界」という言葉も、直接的な現実の世界を指しており、いわゆる世界平和のような話題とも繋がっているのではないかと、薄々わかっています。

しかし、僕にとってこの曲はそのようには映っていません。

「本当の音」とは、嘘偽りのない本当の気持ち。つまり、ある意味文字通り、"本音"という言葉に置き換えて考えられるのではないかと。

「世界」とは、大きな規模での"この世"ではなく、ごく個人的に視界に映る自分にとっての世界、簡単に言えば"人生"であるのではないかと。

まずは、僕がそのような前提でこの曲を捉えていると理解していただいた上で、話をお聞きください。


恥ずかしながら人よりいくらか長くかかってしまいましたが、僕は今月で、中央大学 理工学部 電気電子情報通信工学科を卒業することとなりました。

ご存知のとおり、中学の頃から音楽ばかりやっていましたので、それと直接関係のない分野を専攻することに、意欲を持っていませんでした。

とは言え、何があるかわからない人生。いざという時に選択肢がある方が良いと親にも言われ、自分でもそれは納得していましたので、工学科を出ること自体は無駄ではないと考えていました。

新型コロナウイルスの蔓延により、例年とは違う形態ではありながらも、後回しにしてきた単位と卒業研究を修了するのには、やはりある程度の気合が要りました。

ただでさえ長くかかっていて、もうこれ以上親に心配や迷惑をかけることはできないという気持ちで一年乗り切ったと言っても過言ではありません。僕にとって大学とは、そういう存在でした。

都内の実家に住まい、大学生という肩書きでありつつ、アルバイト等の給与で好きなことにお金を使い、regulusとして自主制作のアルバムをリリースする。

そういった過ごし方でした。

そんな中で少し前に、ひとつ転機がありました。自分からある作曲家事務所に応募して、預かり作家として所属させていただけることになったのです。

要するに、専属契約ではないですが、仕事の情報を回してもらえて、提出した楽曲を採用してもらえればその都度契約して報酬を頂くという形式です。

※これについては、また別の機会に具体的に報告します。それでも気になる方は、僕のTwitterでフォローしているアカウントを見てしまえば、ぶっちゃけ細かいこともわかります。

その年から、確定申告の際に税務署で個人事業主として開業する手続きを済ませ、一応、自営業という体裁になりました。

ここまでが、背景というか、事実の説明です。


僕は、大学の成績発表と共に卒業が決定したタイミングから、一週間経たないうちに、実家を出ようと決めました。

金銭的には、どう考えても実家にいたほうがいいし、そのためにアルバイトを相当量増やすことは自分の時間を大きく削ることもわかっています。

親も、卒業後は音楽一本で成功するまで実家にいると思っていましたから、まさかいきなり出ていくとは考えていない様でした。

独り立ちしたいがために音楽を疎かにするなら、本末転倒だと言われました。僕も、そう思います。

確かに、音楽の収入が不透明な段階では、原則アルバイトによって生活費を稼がなければならず、それによって自由な時間が大きく減るのは事実です。

しかし、それを音楽を疎かにすることだとは考えていません。

大学に行った人はわかると思いますが、年度が変わる時の休みって長いんですよね。

1月末くらいには試験も終わり、高校までと違って宿題的なものも無い。4月になるまで、学生という肩書きのニートみたいな存在になるものです。

僕は例年それを経験した上に、ついに次の4月からは学生の肩書きもない。普通の人は内定があり、一時的な充電期間みたいになるでしょうけど、僕は使い切った乾電池みたいになっていました。

腐っていくのが、怖かったです。

ぶっちゃけ半分腐っていたのですが、肩書きという予防線も取り払われて、次は個人事業主という言い訳を自分にしていくのかと思うと、怖かったです。

自分を生かすための労力も必要とせず、有り余る時間を手にしていると、一番時間を無駄にすることは、経験上知っていました。

必要以上に寝る時間が増える、必要以上に遊ぶ時間が増える、必要以上に何をしているとも言えない時間が増える。

以前の記事で人生の時間について、よく考えました。そういったことが、まさにこれから本当に必要になるのです。

大学には最大8年という時間的なリミットがありますが、これからは無い。死ぬまでそれか? それを考えると、怖かったです。

だから、実家から離れます。東京から離れます。

音楽を疎かにしているのは、今なのです。


では「本当の音」の歌詞を、僕の視点で紐解いていきます。

本当は倒れそうで 凄く恐かったよ
バカみたいに はしゃぎたてて 平然を装っていた

夢ばかり語っているように見えたかもしれないけど
それしかできなかったんだよ

先ほど、まさにそういった話をしました。怖かったのです。

大丈夫、大丈夫。俺なら、音楽で絶対やっていけるから。

中身が腐っていっている自分を、外側だけまともであるかのように見せかけるだけの、憐れな一人芝居でしかないのです。

それしかできなかったんだ。

カッコ付けるしかないような有り様で
手を延ばしても 掴めるものなんてない

現実と夢の狭間で必死に
立っていようとした

こんな有り様で、掴めるものなんてない。

悲観的な自分と楽観的な自分が、現実と夢の狭間で言い争うのです。

いや、悲観的なのではなく現実的なだけで、事実として正しいのはそちらなのです。目を背けるか、背けないか。それだけの違い。

強大な王国では絵空事が続いている
有り余る 情報にいつしか呑み込まれてゆく

本当の音を聞き逃さないよう
立ち止まり 自分の音を探しているよ

ここなんですが、かなり独特な解釈をします。

「本当の音」という言葉に、二つの意味を重ねて話をします。

失礼を承知で言いますが、「強大な王国」とは、世間で流行している(僕にとって)無価値で空っぽな音楽。多くの民衆を虐げて、力ばかり手にして、中身なんてない。得られるものなんてない。

真の力ではない、空虚で、茶番のような絵空事が続いている王国。人々は、有り余る情報に踊らされて「本当の音」を知らない。

心の中で思うだけにしておけ、口に出すことではない。ごもっともです。しかし、こと日本の音楽においては特に、何でこれが売れるんだよ、そう思ってしまうことが少なからずあるのが事実です。

人によって違う「本当の音」の形は、唯一決まる正解など持っていません。

あくまで僕個人の視点から言っていて、「強大な王国」が誰かにとって「本当の音」なら文句を言うことはありません。

「有り余る情報にいつしか呑み込まれてゆく」と言っていますね。最初こそ抵抗を示していたものの、いつしか、「強大な王国」流に呑まれると。

例えば、わかりやすく言えば、生きていくために金が必要なら、不本意でも「強大な王国」流の音楽を作って人気を得るとか。

それが「呑み込まれてゆく」ということなら、そうはなりたくないという話ですよね。

あるいは、自分のことではなくて、王国に虐げられている人々が何も知らないで情報に踊らされていることを言っているのかもしれない。

"思考停止"なんて言葉もよく聞きますが、本当にそれがあなたの「本当の音」ですか? 何も考えていないのでは?

僕にはそういう風にも捉えられます。自分はそうではない。「本当の音」を聞き逃さないよう立ち止まり、自分の音を探しているよ。

僕が音楽をやっているからでしょうか。ひとつは、そういうニュアンスでの解釈です。

もうひとつは、前述のように"本音"というニュアンスです。

要するに、自分と向き合い、心の底の気持ちを自分と対話することで確認するということ。

「強大な王国」での絵空事にいつしか呑み込まれてゆき、戦いもせずに、自分の思い描いた理想の国はこの世界にはないのだと、諦めそうになったとき。

腐っていくのが、怖かったと。自分の音が聞こえたんです。

立ち止まらなければ聞き逃してしまった、「本当の音」に耳を傾ける必要があったんです。

夢って、そういうものでしょう?

僕の思い描く理想の国に、賛同してくれる人々。
そんな光景が、夢っていうものでしょう?

「本当の音」とは、言い換えれば、夢と同じなのです。

私は今 何を信じていいのか
心に響く 必死なものを見せて

本当の音を聴かせてほしいの
じゃないと この世界は…

「世界」とは、生きていて自分の目に映る風景、つまり"人生"のようなものだとして解釈すると述べました。

ゴール地点がはっきりと決まっているのなら、こつこつと歩みを進めていけば、いつかたどり着くでしょう。体力さえ続けば。

しかし、何を信じていいのかわからなければ、その道筋は霧が懸かって見えません。

心に響く必死なものを、「本当の音」を聴かないと。
じゃないとこの世界は…

何もかもが飾り立てられ 本当の姿を 失ってしまった
私の棲む世界は このままじゃ
あまりにも 悲しすぎる

ここの歌詞は、僕にとって一番強く、かつ直接的に刺さる部分であると言えます。

凄く簡単に言えば…
このまま腐っていくのは、あまりにも悲しすぎる。

そうとしか捉えられないんですよね。

カッコ付けるしかないような有り様で
それでも このまま錆び付くよりはいい

本当の音を聴かせてほしいの
じゃないと この世界は…

何もかもが絵空事のよう
心に響く 必死なものを見せて

現実と夢の狭間で必死に
立っていようとした

「強大な王国」は「本当の音」ではないと批判し、自分の思い描く理想こそが価値のあるものだと豪語するのは、カッコ付けることとしか言い様がないのかもしれません。

傍から見れば、鼻で笑われるような態度かもしれません。

それでも、このまま錆び付くよりはいい。

夢を、聴かせてもらえないと。じゃないと、この世界は…

世の中、絵空事ばかりです。そう見えます。

特に自分が評価されないうちは、それこそ本質的な価値を見出すこともできずに、勝手に無価値だと穿った見方をしてしまうのかもしれません。

それでも僕は、このまま錆び付くよりは、
現実と夢の狭間で必死に立っていようと思います。


2021.03.13 regulus

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