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バチェロレッテの萌子さんと杉ちゃんから生まれた愛を、藍坊主の曲から語ってみた。


※この記事では、配信番組「バチェロレッテ・ジャパン」のネタバレを一部含みます。



皆さんこんにちは。たじーです。
投稿する記事のテーマに一貫性がないのですが、ご容赦ください。


今回は、「バチェロレッテ・ジャパン」のお話をします。

「バチェロレッテ・ジャパン」とは、Amazonプライム・ビデオにて配信されている婚活サバイバル番組「バチェラー・ジャパン」から派生した、いわば″男女逆転版″バチェラーです。本来バチェラーシリーズでは、複数の参加女性が、1人の男性(バチェラー)を奪いあうシステムとなっているのですが、バチェロレッテ・ジャパンはその逆、1人の女性(バチェロレッテ)を複数の参加男性が奪い合う仕組みとなっています。

私、普段はこの手の「婚活・恋活サバイバル系番組」は全く観ないのですが、このバチェラーシリーズだけは、どっぷりとハマってしまい、全シリーズ欠かさず視聴しました。

もちろん今回の「バチェロレッテ・ジャパン」も視聴したのですが、結論から言うと、圧倒的に面白い。今までのバチェラーシリーズと比較して。
その理由は、おそらく男性がほとんどを占める番組構成だからか、同じ男性目線で共感したり、感情移入したりする場面が非常に多かったからだと思います。また、「映像ショー」でありながらも、謳っている通り、最初から最後までリアリティのある恋愛模様が繰り広げられていました。そこが、今回のバチェロレッテの見所だったと思います。

そんなバチェロレッテについて特に語っていきたいことは、初代バチェロレッテ「福田萌子さん」と、参加者の1人である、画家の「杉田陽平さん」との間で育まれた″愛″についてです。


まずこちらが、福田萌子さん。

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外見だけでなく、内面も、しなやかで芯の通った、気品ある女性でした。


次に、杉田陽平さん。

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この番組で、一躍人気者の称号を得た、通称杉ちゃん。でも実は、名実ともに日本を代表する現代画家だったことを、どれだけの視聴者が知っていたのでしょうか。(私も知らなかったです。。すみません。)

番組を視聴した方は、クライマックスまで、彼らの恋の行方をハラハラしながら見届けたことでしょう。かくいう私もその一人です。その結末は、番組としては残念な内容だったかもしれませんが、なんとなくこうなる気はしていましたし、それほど違和感は持っていません。

結末云々ではなく、今回私が書きたいと思った事は、実はあるバンドの楽曲との″親和性″についてです。

バチェロレッテを最後まで視聴し、その余韻に浸りながら、「あの時のことばは良かったなー」とか、「あの時はどういう心境だったんだろうなー」とか考えていると、ある時ふと、私の大好きなバンドの楽曲を思い出しました。

それは、藍坊主の『名前の無い色』という曲です。

この曲だけとって聴いても、非常に完成度の高い良曲なのですが、その歌詞に注目して欲しいのです。今一度歌詞の世界に触れながら聴いてみると、まるで、萌子さんと杉ちゃんとの間で生まれた愛や、杉ちゃんが一心に想い創り続けた愛の形が散りばめられているのです。

歌詞の全容は、以下の通りです。

泣ける映画が見たい時
本当は笑いたいことに気付く
お笑い番組が見たい時
本当は泣きたいことに気付く

ため込んでいた想いは
胸と喉を行ったり来たりして
ある時、涙に変わって
僕の頬をゆっくり伝った

そんな時、ふと思う
『自分』という絵を描いてみようと
感情の種類を数えたら
100色入りでも足りないだろう

名前の付いてない色で
真ん中を塗り潰してみた
名前がついてその色が死んでしまうその前に

「誰も愛してくれないかも」と
「ありのままを受け入れたい」の
間で気付く、どっちにしろ
悲しみの数は変わらないこと

たった一枚のキャンバスにこぼれた涙が
花の形になるかもしれない

間違いを探しながら
必死にそれを描き直そうとする
正解が見えてないのに、間違いが分かるのはなぜ

『自分』という大きな絵は
消去法なんかじゃ描けない
笑われても譲れない
信じる力、一つだけ

もっと自分のために涙を
流していいんだと僕は思う
名前の無い色のために
流していいんだと僕は思う

たった一枚のキャンバスにこぼれた涙が
花の形になるかもしれない

たった一枚のキャンバスにこぼれた涙が
花の形になるかもしれない

いかがでしょう。ハッと、しませんか。
この曲自体は、恋愛というより、自分自身と向き合い見つめ直すような、内省的なテーマを歌っていると思うのですが、歌詞に織り込まれた言葉や表現一つ一つが、今回バチェロレッテで語られた愛の形に、とても近いなと感じました。

冒頭から順々にみていきます。まずはここ。

ため込んでいた想いは
胸と喉を行ったり来たりして
ある時、涙に変わって
僕の頬をゆっくり伝った

そんな時、ふと思う
『自分』という絵を描いてみようと
感情の種類を数えたら
100色入りでも足りないだろう

エピソード1で、中々勇気が出ず、思わず涙してしまった杉ちゃんの姿が想起されます。それでも、なんとかきっかけを掴み、心の距離を少し縮めることができた杉ちゃんは、ここから、世界でたった一つの萌子さんの絵を描くため、様々な経験をもとに色を足していきます。

名前の付いてない色で
真ん中を塗り潰してみた
名前がついてその色が死んでしまうその前に

杉ちゃんは、「◯◯色で萌子さんを描こう」と思っていたわけでは無いと思います。二人だけの時間の中で生まれた、二人だけの「名前の無い色」を足して、時には混ぜ合わせて、塗りつぶしていきました。その想いが、誰かと同じものにならないように、共通認識にある色に変わり、その想いが死んでしまわないように。危なっかしくも誠実に、二人だけの愛の形を描き始めていました。

「誰も愛してくれないかも」と
「ありのままを受け入れたい」の
間で気付く、どっちにしろ
悲しみの数は変わらないこと

諦めることと、妥協することは、同じ意味であり同じ結末である。これは、杉ちゃんが過去の恋愛から学んだことであり、萌子さんが今も大切にしている恋愛観に通じているのではないかと思いました。

たった一枚のキャンバスにこぼれた涙が
花の形になるかもしれない

そして、ここ、ですね。曲中でも、サビにあたる部分です。
ここが、そのまんま″杉ちゃんのことば″で驚きました。愛を「花びら」であり、「涙」であると表現した杉ちゃん。それをキャンバスで描き出そうとした、その想いの輪郭をあらためて再認識した部分です。

間違いを探しながら
必死にそれを描き直そうとする
正解が見えてないのに、間違いが分かるのはなぜ

『自分』という大きな絵は
消去法なんかじゃ描けない
笑われても譲れない
信じる力、一つだけ

ここからが2番ですが、個人的にこの部分は、萌子さんパート。
苦渋の決断をし、それでも自分であることを曲げなかった萌子さんの信念と葛藤が、見事に表現されていると思いました。正解なんて誰にもわからないはずなのに、白黒つけようとする、そこには、意地なのか確信なのか迷いなのか、、名前の無い色で着色された愛に触れたからこそ生じた、萌子さんの正直な気持ちなのだと思います。
自分という大きな絵を、消去法で描こうとしないのも、やっぱり萌子さん。「自分にとって、これは要らない」とか「これは自分らしくない」とか、そうやって身に纏うものを捨てていくのではなく、最初から最後まで、ただ一つ「これが私。」という信念を貫いていました。

もっと自分のために涙を
流していいんだと僕は思う
名前の無い色のために
流していいんだと僕は思う

そしてここが、杉ちゃんが最後に形にした、萌子さんへの愛の形を表している部分だと思いました。萌子さんの今までをすべて肯定した上で、全くの未知な色で、萌子さんを表現しようとした杉ちゃん。その想いに触れる事は、単なる好奇心であってはいけない、ちゃんと応えなければいけない。でも一体どうやって、どんな風に?そんな不安や葛藤が折り重なって、萌子さんは何度も杉ちゃんに涙したんだと思います。それを、「それが愛だよ。」と、同じく涙でかえした杉ちゃん。この所作全てが、今回のバチェロレッテで育まれた、真実の愛なのではないでしょうか。




たった一枚のキャンバスにこぼれた涙が
花の形になるかもしれない

たった一枚のキャンバスにこぼれた涙が
花の形になるかもしれない


誰かを想うことは、単純なことではないけれど、さまざまな想いが色になって、一つのキャンバスの上で重なること、それはとても、美しいことなのだと思います。


今回はこの辺りで。読んでいただき、ありがとうございました。






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