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花束と勿忘とオーサムと2015年とライター活動と


最近『花束みたいな恋をした』の話ばっかりしているのはもちろんその内容にいろいろ食らったからなのですが(あと調布が舞台だから…ヘッダーの写真は映画を観た直後の調布駅前)、やっぱりこの話にAwesome City Clubがフィーチャーされているのがでかいわけで。

予告編の時から「名曲が来たかもしれない…ここでオーサム一発来るか…?」と思ってたら想像以上にでかい一発が来てびっくりしている。


「勿忘」は、映画を見た後にその時思ったことを曲にしよう!→曲にしました→制作サイドから「良かったら予告編に…」という流れがすごいいいですよね。チャンスを自ら生み出して、それをものにした感じで。

──永野亮(APOGEE)さんは、前作収録の「トビウオ」で、これまでのAwesome City Clubのイメージを更新するようなぶっ飛んだアレンジを披露していました。今作でもアルバム冒頭曲「勿忘」を担当していますよね。この曲は映画「花束みたいな恋をした」にインスパイアされたとか。

PORIN そうなんです。映画の脚本を手がけた坂元裕二さんが、昔から私たちのことをすごく応援してくれていて。マツザカのラストライブを観にきてくださったのが最初の出会いで、そこからみんなでお食事をするなど親交を深めていく中、「今、映画を作っているんだけど、よかったら出てみない?」と言われて「花束みたいな恋をした」に出演させていただくことになりました。

atagi それもあって、映画をひと足先に観させていただく機会があったんですけど、ものすごくよくて。そこで受け取った気持ちを曲にしたいなと思い、制作会社の方に相談したところ「映画の予告編などで使わせてもらえませんか?」という話をいただいたんです。 


坂元さんとオーサムのファーストコンタクトとなったマツザカさんのラストライブ、僕も行ってました。写真撮影OKのパートにて。


2019年、5人体制のオーサムが終わったタイミング。麦と絹が別れた年。

2015年、5人体制のオーサムがメジャーデビューしたタイミング。麦と絹が出会った年。

『花束~』は観ると自分の話をしてしまう仕様になっているわけですが、僕自身の2015年は子育てが本格的に始まった年でもあり、ライター活動がさらに広がっていった年でもあります。もうサイトが残っていないのですが、メジャーデビューするオーサムの公式インタビューもやらせてもらいました。

あとちょうどこのポッドキャストでも2015年の話がされてましたが、


宇野さんがここで「この年にやめた」と言ってるリアルサウンドのチャート連載を引き継ぐみたいな感じで担当するようになったのも2015年。結局3年くらい続けた。

これが一回目に書いたやつ


そういえばこの年は同じくリアルサウンドで毎月「レジーのJ-POP鳥瞰図」という連載をやってたんだった。この辺の論考は後に『夏フェス革命』の骨格にもなっていきます。


2015年というのは少し前から「東京インディー」とか「シティポップ」とか言われてたムーブメントがさらに加速して、一方ではそこにもともとあったムードがちょっと変わっていく中でこれこの先どうなんの?みたいな雰囲気も出始めてきた何とも言えない時期だったように思います。

オーサムもインディーで話題を呼んだ後にメジャーに打って出たわけですが、それゆえのバックラッシュもあったような。何となく「音楽シーンの変革」みたいな扱いをある向きではされる当時のインディーシーンの盛り上がりですが必ずしも良い面ばかりではなくて、SNSを介してその界隈にいる人たち(ミュージシャンも裏方も)の性格の悪さがどんどん詳らかになっていくタイミングでもあったなあと今振り返ると思います(振り返らなくても当時から思っていましたが)。

5人の頃のオーサムとはなんやかんやお仕事させてもらって、ライブも何度も行ってるのですが、5人がステージでじゃーんと並んだ時の雰囲気がすごく好きで。メンバー間のパワーバランスが絶えず変わるスリリングなバンドでしたが(その帰結として今の3人体制があるのだと思いますが)、特に『Awesome City Tracks 4』あたりの時が野心とリラックスした感じがいい具合に混ざり合ってて良いなあと思っていました。

このMVはその時の雰囲気がよく出てて、今見ると泣いてしまう。ちゃんと「バンド」になってきた時期。


「勿忘」はこの頃の音とは違うけど、メロディの強さだったり2人のボーカルの絡みだったりっていう元来の特徴をちゃんと残しつつ、ストリングスの入れ方やリズムの組み方でメインストリームにばつっとはまるドラマチックな雰囲気を生み出していて、まさにプロの仕事という感じで。

オーサムの成り立ち自体が各人それぞれのキャリアを経てちゃんと「世の中に見える」ことを志向してのものだったので、紆余曲折ありながらもここに辿り着いたのはほんとによかったと外からですが勝手に思っています。そしてもちろん、あの曲がヒットする前段にはサウンド面での転換を図った4人体制のオーサムがあり、グループとしての地力を固めた(そして坂元裕二の関心を引き寄せた)5人体制のオーサムがあったと。

大事なのはこっから先ですよね(僕が言う話でもないですが…)。昔以上にアーティストじゃなくて曲にファンがつく構造になってるし、バイラルヒットはもはや狙って作れるものでもないので。「泣ける歌」みたいな受容のされ方を越えて、アッパーなオーサムも広く聴かれてほしいなーと思います。




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