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第一章 心理療法の目的 対訳と説明


先の記事でも触れていますが、「コース」の考え方によれば、心理療法の究極的な目的は「幻想から目覚めること」。

とはいえ、はじめからそんなことを目的にセラピーに訪れる人はいません。

みな、より良い人生を求めてセラピーにやってくるのだし、セラピストもそれを目的にしているのが普通でしょう。

もちろん、「コース」もそれを否定するわけではありません。

しかし、何をもって「良い人生」とするかについては、一般の人とは考え方がいくぶん、異なっています。

だから、聖霊がセラピーに関わったなら、クライアントは自らの幻想をはがされていき、居心地の悪い思いをします。

最初から、クライアント本人の目的とセラピーの目的はズレているのです。

セラピーは、もしうまくいけば、クライアントが思いもしなかったところまで、その人を連れていくことができます。

少なくとも、理論上は。

そして、それこそが真のセラピーなのです。

しかし、当面は、本人の準備のできているところまで進んでいきます。

人を癒すのは聖なる力であり、セラピストもまた、それによって癒されます。

人間によるセラピーにできることは、癒されるまでの時間の短縮にすぎません。

とはいえ、それも大いに価値のあることと言えるでしょう。

・・・・・

では「奇跡のコース 心理療法」から、「心理療法の目的」の訳を、Ur text に基づいて行なっていきます。

全部で5パラグラフあります。

いくらかでも、セラピーやヒーリングに携わる方々のお役に立てば幸いです。

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第一段落、試訳です。

確認したところ、この部分は、Ur text ( 訂正入りファクシミリ版 ) とFIP版との間で文に違いはありませんでした。


The Purpose
of Psychotherapy


〈第一段落〉

Very simply, the purpose of psychotherapy is to remove the blocks to truth.

非常に単純にいって、心理療法の目的は、真実への障壁を取り除くことです。

Its aim is to aid the patient in abandoning his fixed delusional system, and to begin to reconsider the spurious cause and effect relationships, on which it rest.

そのねらいは、患者が凝り固まった幻想のシステムを放棄し、その幻想の土台となる、見せかけの因果関係の再考に取りかかるのを援助することです。

No one in this world escapes fear, but everyone can reconsider it’s causes and learn to evaluate them correctly.

この世の誰も、怖れを免れませんが、誰でも、その原因を再考して、それらを正しく評価するようになることは可能です。

God has given everyone a Teacher Whose wisdom and help far exceed whatever contributions an earthly therapist can provide.

神はすべての人に「教師」を与えました。その智恵と助力は、地上のセラピストがなしうるどんな貢献よりも、はるかにまさっています。※

Yet there are times and situations in which an earthly therapist-patient relationship becomes the means through which He offers His greater gifts to both.

とはいえ、時と場合によっては、地上の患者とセラピストの関係が、「彼」が「彼の」より大きなギフトを双方に与える手段となります。


※キリスト教的な文脈で語られているので、基本的にはイエスのことを指している。全体的な文脈から、聖霊ととっても差し支えないと思われる。

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第二段落です。

Ur text ( 訂正入りファクシミリ版 ) とFIP版の間に違いはありません。

〈第二段落〉

What better purpose could any relationship have than to invite the Holy Spirit to enter into it and give it His Own great gift of rejoicing?

関係性の中に聖霊を招き入れ、そこに、喜びという「聖霊自身の」ギフトをもたらすことほど、人間関係にとってよい目的があるでしょうか。

What higher goal could there be for anyone than to learn to call upon God and hear His Answer?

誰にとっても、「神」のもとを訪れて「神の答え」を聞くことを学ぶほど、高い目標があり得るでしょうか。

And what more transcendent aim can there be than to recall the way, the truth and the life, and to remember God?  ※

そして、道、真実、生命 (いのち) を呼び覚ますこと、神を思い出すことほど、崇高な目的があるでしょうか。

※訂正前は life のところが light になっています。

To help in this is the proper purpose of psychotherapy.

これを手助けすることが、心理療法の正しい目的です。

Could anything be holier?

それ以上に神聖なことなどあるでしょうか。

For psychotherapy, correctly understood, teaches forgiveness and helps the patient to recognize and accept it.

というのも、心理療法は、正しく理解されたなら、赦しを教え、患者がそれを認めて受け入れるのを助けるからです。

And in his healing is the therapist forgiven with him.

そして患者が癒される中で、セラピストもまた患者とともに赦されるのです。


※キリスト教では、「父」と「 子 (キリスト)」と「聖霊」は三位一体で「神」の側面と考えられます。「コース」では、大雑把に言えば、これらの言葉に互換性があり、どれもだいたい同じ意味で使われているようです。

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第三段落は、記号の表記以外はUr text とFIP版に違いはありません。

〈第三段落〉

Everyone who needs help, regardless of the form of his distress, is attacking himself, and his peace of mind is suffering in consequence.

助けを必要としている人は誰でも、その苦悩が何であれ、自分自身を攻撃しています。その結果、その人の心の平和は乱されています。

These tendencies are often described as “self destructive,” and the patient often regards them in that way himself.

こうした傾向はしばしば「自己破壊的」と表現され、患者自身もその傾向を、よくそのように見なしています。

What he does not realize and needs to learn is that “self,” which can attack and be attacked as well, is a concept he made up.

患者が理解していなくて、知る必要のあることは、攻撃すると同時に攻撃されもする「自己」とは、自分で作り上げた概念であることです。

Further, he cherishes it, defends it, and sometimes even willing to “sacrifice” his  “life” on its behalf.

さらに、患者はその自己を大切にし、防衛し、ときにはそのために「生命 (いのち) 」を「犠牲」にすることさえ厭いません。

For he regards it as himself.

患者はその自己を、自分自身と見なしているからです。

This self he sees as being acted on, reacting to external forces as they demand, and helpless midst the power of the world.

患者はこの自己を、影響を受けるもの、外からの力が要求するがままに反応するもの、世界の威力のただなかで無力であるものと考えます。

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第四段落は、Ur text とFIP版に違いはありません。

〈第四段落〉

Psychotherapy, then, must restore to his awareness the ability to make his own desisions.

心理療法は、だから、患者に、自分自身で決定する能力があるという自覚を取り戻させなければなりません。

He must become willing to reverse his thinking, and to understand that what he thought projected its effects on him were made by his projection on the world.

患者は自分の考えを覆し、自分に結果を投影していると思っていたものが、自分が世界に投影していたものによって引き起こされていたと、理解しようとしなければなりません。

The world he sees does therefore not exist.

したがって、患者が見ている世界は存在しないのです。

Until this is at least in part accepted, the patient cannot see himself as really capable of making decisions.

このことを、少なくとも部分的に受け入れるまで、患者は、自分自身が本当に決定する能力をもっているとは考えられません。

And he will fight against his freedom because he thinks that it is slavery.

そして患者は、自分の自由に抗って闘うでしょう。なぜなら、自由を隷属と考えるからです。


※最後の一文の後半、よく理解できません。「コース」をちゃんと読み込んだ人ならわかるのでしょうか?

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〈第五段落〉

※多少、意訳した部分があります。

The patient need not think of truth as God in order to make progress in salvation.

患者は、救済において前進するために、真実を神と見なす必要はありません。

But he must begin to separate truth from illusion, recognizing that they are not the same,and becoming increasingly willing to see illusions as false and to accept the truth as true.

しかし、患者は真実と幻想は別の物であると認識し、それらを分けて考えるようにならなければいけません。そして、だんだんと、幻想は偽物であると認め、真実が本物であると受け入れていかなければいけません。

※false は、訂正前のファクシミリ版では、illusions 。

His Teacher will take him on from there, as far as he is ready to go.

「教師」は、患者をそこから、本人の準備ができているところまで、連れて行きます。

Psychotherapy can only save him time.

心理療法は、時間の節約をするにすぎません。

The Holy Spirit uses time as He thinks best, and He is never wrong.

「聖霊」は、彼が最上と考えるように時間を使い、間違うことがありません。

Psychotherapy under His direction is one of the means He uses to save time, and to prepare additional teachers for his work.

「聖霊」の下での心理療法は、彼が時間を節約する手段の一つであり、彼の仕事のために、さらなる教師を用意するためのものです。

There is no end to the help that He begins and he directs.

「聖霊」が開始し、指揮する援助に、終わりはありません。

By whatever routes He chooses, all psychotherapy leads to God in the end.

「聖霊」がどのような道筋を選ぼうとも、すべての心理療法は、最終的に神へと導かれます。

But that is up to Him.

しかし、それも「聖霊」次第なのです。

※上の文以下、「聖霊」としたところ、「奇跡講座」では神と訳されています。

We are all His psychotherapist, for He would have us all be healed in Him.

私たちは皆、「聖霊」の下にある心理セラピストです。私たちは皆、「聖霊」において、癒されるからです。

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繰り返しになりますが、「コース」によれば、心理療法の目的は「幻想から目覚めること」です。

究極的には、それは悟りのことかもしれませんが、心理療法の文脈でいえば、間違ったビリーフ・システムを、適切なものに書き換えることだと言ってよいでしょう。

また、キリスト教的な文脈で語られていますが、神や聖霊といった言葉は、たとえば「聖なるもの」など、ご自身になじむ言葉に変えてよいと思います。

別のところで、セラピストは、とがめではなく赦しを与えるなら、特に信仰深い必要はない、とも述べられています。

それでは、、

第一章「心理療法の目的」の対訳は以上です。

お読みいただき、ありがとうございました。






















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