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私の昭和歌謡史:歌は世につれ、世は歌につれ(1960年代) 

歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される……

敗戦という大きな痛手から立ち直って復興が加速していった1950年代を経て、時代は「高度経済成長時代」に突入していく。

自分にとっては、1960年代(’60~’69)が「小学一年から中学三年」に、1970年代(’70~’79)が「高校一年から大学六年」に、そして1980年代(’80~’89)が「医師になってからの十年間」というように、時代と自分自身の節目がうまい具合に一致しているので、昔を思い出すには好都合である。

さらに1989年には「昭和」という時代の終焉を迎えた。’60年代から’80年代にわたる激動の30年間の世相を振り返りながら、「私的、昭和の歌謡史」を綴ってみる。

■ 憧れの’60年代

戦後の復興には、多くの労働力が必要とされたので、若者の都会への集中を加速させた。都会に集まってきた若者は遠く離れた故郷への望郷の思いを募らせる一方で、田舎に住む若者の都会への憧れは次第に大きくなっていく。

時代はどう移っていったのか? ~ 1960年(昭和35年)の安保闘争に始まり、1964年(昭和39年)には東京オリンピックが開催され、1969年(昭和44年)中学三年生の時には人類初の月面着陸成功のニュースに沸き立った……

このような時代の流れを受けて、歌謡曲は「望郷ふるさと歌謡(脚注1)」から「都会派ムード歌謡(脚注2)」へと受け継がれる。

            ***

1960年代前半は、小学校の低学年だったのでさしたる記憶も残っていない。

1964年に開催された東京オリンピック前後から、ようやく「時代」と「流行り歌」が頭の中で繋がるようになった。オリンピック関連の唄として、三波春夫の「東京五輪音頭」(’63) はあまりにも有名であるが、個人的には東京をテーマにした曲として坂本九が歌う「サヨナラ東京」(’64)がなぜか記憶に残っていて、これが都会を意識する始まりだったかもしれない。

娯楽の主体は映画からテレビに移っていき、わが家にもようやくテレビがやってきて、年末のレコード大賞や紅白歌合戦が一家における関心事の一つとなった。

橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦のいわゆる「御三家」に加山雄三、初期グループサウンズの代表であるザ・ワイルドワンズ、ザ・スパイダーズ、ジャッキー吉川とブルーコメッツのデビュー曲を中心に’年代順に並べてみると、以下のようになる。自分が小学校の高学年から中学校に入学する頃に相当する。

1960年 橋 幸夫「潮来笠」
1961年 坂本 九「上を向いて歩こう」1962年 橋幸夫・吉永小百合
                    「いつでも夢を」
1963年 舟木一夫「高校三年生」
1964年 西郷輝彦「君だけを」
1965年 加山雄三「君といつまでも」1966年 ザ・ワイルドワンズ
                    「思い出の渚」、
                 ザ・スパイダーズ
                     「夕陽が泣いている」
1967年 ジャッキー吉川と
            ブルーコメッツ「ブルーシャトウ」

1968年カラーテレビはようやく一般化したものの、高価な電化製品の最たるものであり、メキシコオリンピックの中継は、近所のお宅で見せてもらった記憶がある。

この年に流行ったいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」が醸し出す夜の都会の華やかさが、中学2年の自分にとってはとても刺激的であった。

同じ年に大ヒットしたピンキーとキラーズの「恋の季節」も思い出に残る歌であり、今陽子の健康的な美もなぜか眩しく感じたものである。

もっとも、この時代を代表する西田佐知子「赤坂の夜は更けて」(’65)や由紀さおり「夜明けのスキャット」(’69)といった本格派の女性歌手の魅力が分かるのは、ずっと後になってからであるが……

中学生の頃には、ザ・タイガースやザ・テンプターズを二大トップとしたグループサウンズのブームは頂点となり、このブームはいつまで続くのだろうと思っていたが、あっという間に、尻すぼみになっていった。

元祖シンガーソングライターといわれている荒木一郎がデビューしたのもこの頃である。「空に星があるように」(’66)、「今夜は踊ろう」(’66)と続けざまにヒット曲を連発し、レコード大賞新人賞を受賞した。

また、同じ頃、「モダン・フォーク(カレッジ・フォーク)」なる新たなジャンルの歌が少しずつ広がってきた。「パフ」(ピーター・ポール・アンド・マリー)、「トライトウメンバー」(ブラザーズ・フォア)、「花はどこに行った」(キングストン・トリオ)に代表されるアメリカのカレッジ・フォークの影響を受けた都内の大学生のグループから、「星に祈りを」(’66)(ザ・ブロードサイド・フォー)、「この手のひらに愛を」(’66)(ザ・サベージ)、「小さな日記」(’68)(フォー・セインツ)といったグループが出てきた。

ほぼ同じ時期に、関西系のフォークグループとして、「帰ってきたヨッパライ」(’67)(フォーク・クルセダーズ)、「受験生ブルース」(’68)(高石ともや)、「友よ」(’68)(岡林信康)、「遠い世界に」(’68)(五つの赤い風船)が登場する。

’60年代の最後の歌として、「海の底で歌う歌」(モコ・ビーバー・オリーブ)が懐かしく思い出される。ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスの『ビタースウィート・サンバ』で始まる深夜のラジオ放送オールナイトニッポンからヒットした曲であった。

脚注1:「望郷ふるさと歌謡」:

春日八郎「別れの一本杉」(’55)
三橋美智也「哀愁列車」(’56)
島倉千代子「東京だよ、おっかさん」
                   (’ 57)

脚注2:「都会派ムード歌謡」:

石原裕次郎「銀座の恋の物語」(’ 61)
和田弘とマヒナスターズ
    「ウナ・セラ・ディ東京」(’ 64)
ロスプリモス「ラブユー東京」(’ 66)

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