矢吹 修

歴史探訪を兼ねた旅行好きで、故郷を愛する古希を迎えた医師。 他の趣味は、スポーツ観戦、散歩とエッセイです。 三秒過ぎれば過去なので、今この時を大切にしています。

矢吹 修

歴史探訪を兼ねた旅行好きで、故郷を愛する古希を迎えた医師。 他の趣味は、スポーツ観戦、散歩とエッセイです。 三秒過ぎれば過去なので、今この時を大切にしています。

最近の記事

「戦争を知らない子どもたち」だったのに

1868(明治元)年から154年経った2022(令和4)年2月24日、大方の予想に反した突然のロシアによるウクライナ侵攻は、世界中を震撼させ、われわれを得体のしれない不安と恐怖に陥れてしまった。 驚くことに、維新から第二次世界大戦の終戦までと、終戦後から現在までがそれぞれ77年で同じ長さなのである。終戦までを近・現代史の前半とするならば、この時期の尊い犠牲の上で、その後半に生まれたわれわれの世代が平和を享受できている事実を忘れてはならない。 ◆ 「戦争を知らない子供たち」

    • 永遠に平和を希求する島となれ!

      兼ねてからの念願であった、山口県周南市の対岸にある大津島をようやく訪れることができた(写真1)。ここには、太平洋戦争末期に開設された人間魚雷「回天」の訓練基地施設が現在も国内で唯一残されている。 ■ トンネルの向こうには? フェリーを降りて、最初に、「回天」訓練基地跡に向かう。(写真2のC) 基地に向かうトンネルの下を見ると、地面の色は一様ではなかった。当時魚雷を乗せたトロッコが通った轍がコンクリートで埋められていたのである。(写真3) 「この地より海の砦として若もの

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      • 秋冷の一日:木曽路と松下村塾

        ◆ かたりあひて 延び延びになっていた岐阜県恵那市行きが、朝夕がしのぎやすくなった秋冷の日に、ようやく実現した。古くから親しくしている友人が勤務している施設で講演するためである。 西に向かう新幹線の車内で、安倍元総理の国葬での弔辞を思い出した。 「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」 この歌は、2年前に突然凶弾に倒れ帰らぬ人となった故安倍晋三元総理の国葬の際に、菅義偉元総理が友人代表として話された弔辞の中で引用された。山縣有朋(1838-1

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        • 人生の節目に出会ってきた腕時計たち

          季節外れの話題ですが、ご容赦の程を。 4月は入学式のシーズン、新しい門出を祝うスタートの月で、ウキウキする。高校入学時に一番嬉しかったのは、父親から入学祝で貰った腕時計だったことを、ふと思い出した。 ■ セイコーファイブ 当時の生徒手帳の最後のページにある「貴重品の控え」に、SEIKO 9N3143と型番までしっかり書かれてあった。1970年代初めの街中で時刻が分かるものは今ほどなかった。分刻みの時間割に縛られ、試験続きだった学生にとっては、腕時計は今以上に重要で、これ

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          いくつになっても、Happy birthday

          私は1950年代の七月生まれ、星座は蟹座である。 誕生日を迎えることが、四十代までは少し照れくさかったが、この歳になると、何となく心が弾む。長く生きてきた一番の証をこの日に自覚できるからなのかもしれない。 ■ 誕生日にまつわるあれこれ 七月は文月。稲穂が育つ頃であることから「穂含月(ほふみつき)」から転じたとも、または、七夕行事にちなんで短冊に願い事を書いたことから「文」の字を当てたという説もある。また、この月の満月は英語でBuck Moon (男鹿月)(雄ジカの角が生

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          いくつになっても、Happy birthday

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          チョコレートと母子健康手帳

          知人からJICA(Japan International Cooperation Agency、独立行政法人国際協力機構の事で、政府開発援助を一元的に行う機関で、開発途上国への国際協力を行う)の関連で、来日して講習会を受講するガーナ国の母子保健担当者への講義を依頼された。 「講演の中に、母子健康手帳の話を含めていいのであれば、一時間程度でも大丈夫です」と、引き受けた。 ■ わが国と世界の「母子健康手帳」 母子健康手帳は太平洋戦争開戦の翌年にあたる1942年に、世界に先駆

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          チョコレートと母子健康手帳

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          夕陽を追いかけて

          ■ 「薄明(マジックアワー)」と「反薄明光線」 高層ビルから眺める夕陽も、空気が澄み切った時期は格別だろうと思い、晩秋のとある日、日没の瞬間を見たくて東京都庁の展望台に上ったことがある。(写真1) 日の入り後に空が青色から黄金色になって、日の入りの頃にはオレンジ色に変わっていく。魔法のように美しい空が見られるこの時間は、「薄明(マジックアワー)」と呼ばれている。さらに、オレンジ色から赤へと変化していく。「夕陽」の赤は太陽からのご褒美のようでもある。 しばらくすると、黄昏

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          夕陽を追いかけて

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          天国に持っていきたい七つでは足らない曲の数々 

            ◆ 天国に持っていきたい七つの曲 今から3年前、多くの人々を魅了してきた「吉田拓郎」が75歳の誕生日(2021年4月)に、「全ての音楽活動に終止符を打つ」ことを自身のラジオ番組で明らかにした。そして、「天国に持って行きたい七つの曲」を公表した。 (1)『吉田町の唄』 (’92) (2)『流星』 (’79) (3)『君のスピードで』 (’95) (4)『慕情』 (’12) (5)『やせっぽちのブルース』 (’70)(6)『いくつになってもhappy birthday』

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          天国に持っていきたい七つでは足らない曲の数々 

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          私の昭和歌謡史:歌は世につれ、世は歌につれ(1980年代)

          ■ 80年代、新たな世界へ 1980年(昭和55年)はソ連のアフガニスタン侵攻から始まった。 その影響もあり、モスクワオリンピックはボイコットされた。1985年(昭和60年)には日航機墜落という衝撃的な事件も起こっている。1987年(昭和62年)に頂点に達した「バブル景気」という魔物は’80年代が終わる年頃から崩壊へと向かい、消費税が導入されるも構造不況の時代が始まる。奇しくも80年代最後の年である1989年(昭和64年/平成元年)は、昭和の終焉、天安門事件と東西冷戦体制の

          私の昭和歌謡史:歌は世につれ、世は歌につれ(1980年代)

          私の昭和歌謡史:歌は世につれ、世は歌につれ(1970年代)

          ■ 青春まっ只中の’70年代 1970年(昭和45年)に高校生となった年に大阪万博が開催され、1972年(昭和47年)には沖縄が返還された。田中角栄が「今太閤」として一気に日本のトップに駆け上がった後、1974年(昭和49年)に政界を大きく揺るがした「ロッキード事件」が起こっている。後半になると、高度経済成長が一段落し、低経済成長へと移行する。山陽新幹線は開通したが、マイカーブームが到来し、鉄道離れが加速していった… 60年代後半から若者の間で広まってきたフォークソングも

          私の昭和歌謡史:歌は世につれ、世は歌につれ(1970年代)

          私の昭和歌謡史:歌は世につれ、世は歌につれ(1960年代) 

          歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される…… 敗戦という大きな痛手から立ち直って復興が加速していった1950年代を経て、時代は「高度経済成長時代」に突入していく。 自分にとっては、1960年代(’60~’69)が「小学一年から中学三年」に、1970年代(’70~’79)が「高校一年から大学六年」に、そして1980年代(’80~’89)が「医師になってからの十年間」というように、時代と自分自身の節目がうまい具合に一致しているので、昔を思い出すには好

          私の昭和歌謡史:歌は世につれ、世は歌につれ(1960年代) 

          東京、パリ、…そしてロスへ

          今年の8月はいつもより早く過ぎたようだ。 7年ぶりの有観客で華々しく開催されたパリ五輪で、日本人選手の活躍が続いたせいかもしれない。五輪開催期間中は、やはり「日本」を強く意識させる。 ■ 「勝ち切った者」と「勝ち切れず、敗れ去った者」と 「陸上」、「水泳」、「自転車」、「体操」、「フェンシング」の5競技は、第1回アテネ大会から現在まで途切れることなく行われている。このうち、三つの競技で金メダルが取れたのは、日本のスポーツ界にとって素晴らしいニュースではなかったか? と

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          解決策をChat GPTに尋ねたところ…

           ◆ 予期せぬタクシーに乗車す! 今年の五月連休の合間に起こった、中部地方のある中核都市での出来事である。 午前中に予定された講義に向かうため、前日ホテルのフロントにお願いしておいたタクシーに乗り込んだところ、予想以上に高齢で危なっかしい運転をする運転手だと分かった。 一方、「学生講義」という半ば公的な行事なので、開始時間に遅れることはできない。万が一事故に会ったらどうしようか?と、目的地に着くまで不安な気持ちを持ち続けていたのは噓偽らざる気持ちだった。 タクシーを降

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          バス運転手の対応が!?

          過去最高に暑かった7月をそのまま引きずった8月のある日、ネット記事に目をやると、何となく憂鬱なニュースが飛び込んできた。 ◆ センセーショナルな記事 ― ICカード残高不足児童にバス運転手が威圧的態度で謝罪要求 最高気温37.7℃の猛暑の中、児童は2時間ほどかけ徒歩で帰宅 ― 一般の目を引くためだろうか、タイトルが少しセンセーショナルだ。幾つかのニュースをまとめてみると、以下の経過のようだ: ・ 東海地方でバス会社が運営する路線バスに乗った下校中の小学校低学年の男子

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          大大吉を引いた!

          何か大きな事が起こると言われた辰年もあっという間に半年が過ぎたが、確かに激動の年である。 昨年末に友人が受け取った文章の一部を引用する。 *** 2024年は「鬼宿(きしゅく)の年」。鬼は「人ならぬもの」を表していることもあり、想定外の力が働き、現実離れした思考が大きく世の中を動かす年になります。干支(脚注1)は「甲辰(きのえたつ)」。「甲」は<木の陽の気>で、植物が殻を破って芽を出した様子を表す文字とされています。 さらに「甲」は、<甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・

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          「幸せの左富士」と思い込み

          ■  「幸せの左富士」 新幹線の山側に座ると、車窓から「富士は日本一の山」が文字通り実感できる。(写真1) 写真1  山側の窓から見える富士山 東京から大阪に向かう新幹線に乗った時、静岡駅を過ぎるあたりで富士山が座席の視界から消えることに気付いた。 一方、短い時間ではあるが、海側の座席から窓越しに富士山がはっきり見える場所がある。(写真2) 晴れていて視界良好な季節にしか見ることができないので、海側に座った時の座席から見える富士山は、安藤広重の有名な浮世絵「左富士」に

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