普通のことが出来ない私

幼少期の頃から、集団でいるよりも友人と2人で過ごす時間の方がずっと気楽だった。
穏やかに話しを聞いてくれる優しい人か、裏表なくハッキリ意見を言ってくれる人。そんなタイプの人とは相性が良かったと思う。
素直な性格のせいか、いじめを受けることはなく、むしろ周囲の人たちに恵まれていた。
学生時代の間は自分が一緒にいて心地が良いと思える人を選んで、人付き合いが出来たけど、社会に出るとそうも言ってられないということに気が付いた。

思えば、昔から記憶力は良い方ではなかった。
幼少期の出来事、家族旅行に行った記憶、兄弟間の関係性
どれも断片的な記憶しかなくて
せっかちで行動的な母の管理下にいたからか、深く考えて行動するということがなかったんだろう。
それでも、出来ないことは多かったけれど、成長とともに出来ることが増えていくんだろうと思っていた。
反省しても、次に活かせない。突発的な何かがあると臨機応変に対応出来ない。
しっかり話しを聞かなければいけない場面でボーッとしてしまう。
天然でのんびり屋さんで飽き性な性格のせいだと思っていた。

社会に出てからは、思っていた以上に仕事が出来なくて
同期のようにスムーズに業務を覚えていくことが出来なくて
毎日、怒られてばかりだった。
夜勤で疲れているから。指導者と一緒の勤務だから。彼氏と別れたから。
何かにつけて理由をつけて、環境や周囲の人間のせいにしていた。
それでも6年間仕事は継続することが出来た。
石の上にも3年。
人間関係には恵まれていた職場だったけど、3年経っても、後輩が沢山出来てからも、「優先順位をつけられない」「臨機応変な対応が出来ない」「同時に二つのことが出来ない」ことにずっと悩んでいても改善されなかった。

結婚して、子どもが2人出来てから、そんな自分の特性が顕著に気になりだし始めた。子どもはとても可愛いが、親には幼子を管理していく義務がある。
女として、妻として、母として、なるべく普通に近づきたいと頑張れば頑張るほど墓穴にはまっていった。
頑張ってるのに出来なくて、空回りして勝手に疲れている。
結婚したあとに、私自身の病気が複数発覚。治療をしながら、不妊治療を乗り越えて、低出生時で産まれた子どもに大きな病気が見つかって、夫婦間で荒波を乗り越えて歴史を刻んできたハズなのに、断片的な記憶しかない。
その時の感情は残っているけれど、気持ちの移り変わりが早くて、言語化して当時の記憶を引き出すことが出来ない。
夫との温度差を感じた。

注意散漫で不注意な特性は、人生で大事な場面であっても、発揮する。
しばらく経ったあとに事の重大性に気がつくが、行き当たりばったりで、いかなる時も直後は軽薄に受け止めてしまう。
普通の人間になりたいって生きてきて何度思ったことか

おっちょこちょいで要領が悪く不器用な面はあるけれど、何か一つでも輝けるものを見つけたいと切に願う。

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