集団に合わせようと必死だった過去

昔から雑談が苦手だった。
相手の立場に立って寄り添いながら話し合うということが苦痛。
大人数になるとなお、集中力が途中から切れて何を話しているかわからなくなる。頭の中に情報が入りすぎて、何がポイントなのかわからなくなる。
3人ならまだしも4人以上になると頭の中がパンクして何も引き出せなくなってしまう。
これも「ワーキングメモリ不足」「集中力の欠如」「優先順位がつけられない」ADHDの特徴が表れているのだろう。

学生時代の毎日は、女子特有のグループ行動が基本で、輪の中にいること自体苦痛だった。
それでも、輪の中から外れて独りぼっちになる方が怖くて、無理に笑顔を作ったり話しを合わせたりしていた。いつもそこには自分の意見がなくて、リーダー格の友人にコバンザメのようについて回っていた。
自分の意見を主張するよりも、友人と横並びになって共感して合わせていく方がずっと楽だった。
不器用で理解力も弱く、テンポの良い会話が展開出来ないので、そんな自分をさらけだしたら、浮いた存在になって、みんな離れていってしまうと思った。

学校生活の中でも、バイト先でも、居候していた親戚宅でも自分をさらけ出す事ができず、居場所がないようでとても生きづらかった。
毎日、すべきことが終わったあとは、余力が全く残っておらず、寝込むか自室に閉じこもることが多かった。
自分だけを見てくれる、恋人の存在に完全依存していた。
それでも、成長とともに経験を積んでいくごとに、出来なかったことも出来るようになっていくと思い込んでいた。
いつか、周りの人間のように普通に雑談が出来るようになって、ストレスのない毎日を送れるようになるのだと。

発達症の診断を受けて、出来なかったことを出来るようになることは無理だということがわかった。
そもそも脳の作りが周りの人間と違っていたのだから。
自分が変わろうとするよりも、自分が生きやすいと思う環境調整。
そこに、発達症の自分を好きになれる、明るい将来へ向けた扉のカギが隠されているのだと思う。


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