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遅すぎたスタート

わたしは小学低学年の頃から病院にかかり
主治医や時には心理カウンセラーや作業療法士なんかと向き合わなければいけないことが多かった。

知らない おとな 、それだけで私にとっては
閉ざした心をより強固に閉じる理由になった。

医者や看護師、カウンセラー達だけじゃない
私は両親も学校の担任も大人は全員きらいだった。

怖かった。
我慢出来ないと叱るくせに、今度は勝手に私の心に
土足で踏み入って暴こうとする。

保育園の頃から私は手の掛からない、誰とも喧嘩のしない子供だった。辛くても、大丈夫と言えばあからさまに親はホッとした顔をするし、保育園で理不尽な難癖をつけられても大抵譲ったりニコニコしていればその場は丸く収まるし先生たちだって褒めてくれる。
そう、我慢我慢我慢。なんでも我慢する。
そしたらみんな笑顔だから、私一人が辛いだけで
みんなが楽なら楽しいならそれでいいの。保育園の頃からそんな風に、1番は両親に迷惑心配をかけないように、そんな想いでそんな性格になってしまった。

同級生のお母様に会うと必ず言われてた
○○ちゃんは大人ね〜、なんて。
クソ喰らえって思った。私だって外で泣き叫びたい!
私だって読んでた絵本を横取りされたら腹が立つ!

それでもニコニコ、ニコニコ、ひたすら仮面を張り付けて。だからなのかな、壊れてしまったみたい。
我慢なんてするもんじゃないね。
好きなときに好きなことして好きなもん食べて
そういう生き物なのに、我慢と嘘の笑顔でどうやったら本来の私に戻れるのか自分でも分からなくなっちゃった。そしたら大層な肩書きを持ったお医者サマたちに囲まれる生活が始まって入院も両手じゃ足りないくらいしたし薬も小学低学年が飲むような薬じゃないもんを飲み続けて今じゃ見事な薬漬け。

薬を飲まないと一睡も出来ない、比喩じゃなくて本当に1分も意識が飛ばない。二徹三徹当たり前。

今も根本的な部分は変わっていないけれど
成人式を迎えて、誕生日を迎えて
考え方が変わった。如何に自分が子供だったか

私が怖がっていた医者もカウンセラーも
本当は私の味方だったこと
あの時、私が子供じみたプライドを捨てて
たすけて と一言、言えれば世界は違ったかもしれない。

だけど、たらればは好きじゃないから私はこれからの事を考える。私は恥ずかしい限りだが小4までしかまともに学校へ通っていなかった。義務教育丸々5年完全にすっ飛ばしている。拙い文からして頭が悪いのが伝わると思うが私には夢がある。それを実現させるにはとてつもなく努力をして頑張らなければいけない。

私は幼き頃、忌み嫌っていた心理カウンセラーになりたいのだ。本来はネイリストという夢があったが年々悪化する自律神経失調症と薬の影響で手の震えが激しく細かい作業を断念せざる得なくなった。

心理カウンセラーの道は元々は心理学に興味があったからだ。そして、心理学を学び、私自身という失敗例が既にサンプルとして所持しているのだから私のような失敗を犯すような少年少女、勿論大人もを一人でも私が救いたい。そしてそうすることによって過去の可哀想で周りの者を威嚇し自分の殻に閉じ篭っていた自分を埋葬してあげたいのだ。不謹慎な動機だ。

だが、私は同級生がもう就活だなんて言っている年にやっと果てしない興味が次々と湧いてきたのだ。
遅すぎる、勉学に励むのは遅すぎるかもしれない。
だけど皆が勉学に励んでいる間、私は社会経験を詰んだ。
声を大にして言うが少なくとも私の幸せは
金が全てではないということだ。

金があっても学が無ければ
金の正しい使い道を知らなければ幸せになれない
何かを恐れるのは己の無知ゆえ

私は勉強が嫌いだ!だけど面白いと思ったことは
三日三晩飯を食わずとも調べていたいという性だ。
私の今持っている知識は全て
そのモノへの果てしない興味、その事象の面白い!という気持ちだけで動いている。

私は辞書が好きで辞書を読むのだ、変人扱いされることもあるが小学校で辞書を引く授業の際、初めて辞書を触った衝撃は忘れないだろう。この1冊に日本語が詰まっている!なんて凄いものなんだ!!これを作った人はどれだけの時間を費やしたのか!それから小学校の朝読書では毎日辞書を読んでいた。あ行からめくるのも面白いがたまにはペラペラと適当なページで止めて読むのも大変楽しい。

そう、楽しい、その感情だけで動くのだ

私は首にイカついタトゥーがそりゃあ隠せないほど入っている。この時点で心理カウンセラーの資格を取ったとしても雇ってくれる病院やらクリニック、心療内科があるのか。正直諦めてる。
でもやってみなきゃあ分かんない。

0と1は違う。0だったとしても!
だったら私が最初の1になってやろうじゃないか!!


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