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枯れたアサガオ

ヒトがヒトたらしめる事とはなんだろう

ヒトが一人では生きていけないこと
それは強いだとか弱いだとか、そういう問題では無い

人は人から人へと温もりを愛情を如雨露から浴びなくては心が枯渇してしまう脆くて弱い生き物なのだ。
自分が愛情を注いでもらうのと同時に自分も誰かへ愛情を注がなくてはヒトは絶滅してしまう。

どれだけ強がっても突き放しても一人きりで生きていくことは不可能なのだ。一人で生きていると思っているヒトが居るとするのならその自意識過剰さに笑ってしまうさ

一人で生きている?本当に?
ならば貴方はどうやって衣食住を揃えている?
仕事は?学校は?

そもそもこの世に生まれ落ちたこと自体が一人で
成し遂げたことではない。それを棚に上げ
自分は誰の手も借りていない、誰とも群れない、
なんて威張っている野郎が居るなら滑稽も滑稽だ

でもそんな思考になってしまったヒトは確かに滑稽だがとても悲しいヒトであろう。毎日規則正しく時には溢れんばかりと注がれるハズであった水やりを正しくされてこなかった放置され枯れてしまったアサガオなのかもしれない。

隣のアサガオは立派なツルを生やしてあっという間にそれはそれは綺麗な花を咲かせているのに僕/私はツルどころか芽すら出ない、土が乾いて割れそうだ。

本当は泣いていたかもしれない、どうして?とどうして自分は水を注いで貰えないのか。どうして褒めてくれないの、どうして遅くまで帰ってきてくれないのか、どうして夕ご飯を作ってくれないのか。泣いて泣いて、涙で土は濡れてるハズなのにこの水分では花は育たない様で。

そんな少年少女のアサガオの種はひねくれて、ひねくれて
世界一の天才でも解けないような知恵の輪みたいに
どんな言葉をかけたって決してほどけることはなく
自分は一人だと、自分は一人で生きていると思ってしまう。そう思わなきゃやってられないんだ。

だってそうだろう?一人じゃないんだったら、あの時こんな風に寄り添って欲しかった。あの時、こんな言葉をかけて欲しかった。周りのアサガオが満開だと余計に自分が一人じゃないなら今の自分の有様を一体誰のせいにしていいか分からない!

そんな悲痛なSOSが人を寄せ付けない、一人でいることになってしまう。本当は誰か、優しい言葉を枯渇した心に注いでくれ!誰か言葉なんかいらないから隣で自分に寄り添ってくれ!本当に言いたいことがいつしか言えなくなっていた。

アサガオは水やりをサボれば育たないし枯れてしまうし一度枯れてしまえばもう二度と花は咲かないけれど

ヒトは違う、どんなに枯れていてもその心を誰かに潤してもらえばヒトは変われる。ヒトの心は枯れたってそのヒト次第で何度だってやり直せる、這いつくばって立ち直ってみせる。それをカッコ悪いと思うこと、そんな考えがカッコ悪いことを理解出来ればどんなにみっともなくてもそれがヒトをヒトたらしめる理由であるのではないか。


アサガオ-花言葉-
【愛情】【結束】【淡い恋】


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