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私と母とオムライス


本作は、ReoNaさんの歌「オムライス」からインスピレーションを受けて書いたものになります。

作詞・作曲/傘村トータ




私は15のとき、登校拒否になってしまいました。

それまでの私は皆勤賞だったのですが、ある日突然糸が切れたように学校へ行けなくなりました。


そんな私を気遣い、母が私のために大好物なオムライス弁当を作ってくれていたのです。


それが母親としてできるせめてもの、私へ対しての励ましだった。


少しでも元気になって欲しい。


また皆勤賞だった頃のように友達と一緒に学校へ通ってほしい、そんな願いが込められたオムライス弁当でした。


ところが、私は部屋に入ってきた母と押し問答になり、母と私の間には蟠りがさらに生じてしまった。


分かっていた、母が私を想う気持ちが…。


出来れば、それに応えたかった。


でも出来なかった。


気持ちがついていかなかった。


けれど、時間が経つにつれ、私は母に申し訳なかったという感情が湧き上がり、母が作ったオムライス弁当を夜中にこっそり食べようと、二階の部屋からキッチンへと降りていったのです。


大好きなオムライス、母が私のために作ってくれたオムライス、食べようとしたその時でした。


すでにテーブルの上にはオムライスの弁当はありませんでした。

そのオムライスは、無惨にも三角コーナーへ他の生ゴミと一緒に捨てられていたのです。


凄くショックでした…。


何がショックだと言えば、オムライスが食べられなかった事ではなく、母を深く傷付けてしまった事が…。


オムライスは母が、私に対する想いそのものなのです。

それを三角コーナーという100均ショップのプラスチックの容器にゴミとして処理させてしまったのです。

母の想いを踏み躙り、三角コーナー行きの、ゴミそのものにさせてしまったのです。


ごみ、ごみ、ごみ…大好きなオムライスも母の想いも、すべてゴミへと追いやってしまった私…。


どうしようもないやるせなさ。


私がごみになりたかった。


傷を負って。負わせて。

それでも生きていたかった。

それでも生きていたかった。




…そして、私は覚悟を決めたのです。


もう、どうなっても構わない。


ごみとしてでもいい、両親から、そして母親から与えられた身で生きていくことを…。



それから数日後、私は制服に着替え学校へ向かおうとしていた。



校門まで行って戻ってくるかもしれない



でもそれでもいい


それでいい


少しずつでもいい


少しずつ、少しずつ、前へ、前へと進んでい行けたらいい。


そんな風に生きて行けたらいい。



私は母の作ったオムライス弁当を持参し、学校へと向かいました。


母の想い、そのものが詰まったオムライス弁当と共に…


私は母の想いと共に、勇気を出し切り、新たな一歩を踏み出そうとしていた。





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