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続軽井沢物語

 軽井沢の魅力は夏の清涼感にある。軽井沢駅の標高は940mなので、新幹線の駅では一番標高が高い。夏でも日陰に入ると体感温度は心地よい。森の木漏れ日の中をサイクルで疾走するとなんとも豊かな気持ちにある。別荘地の木立の中にいるとここは日本ではないのではと錯覚しそうだ。

 やはりクーラーの無い時代に夏の軽井沢を訪れて、この地にはまっていく人たちが沢山いたのだ。特に有名なのが、カナダ人でイングランド国教会系の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーだ。彼は友人の外国人教師と1885年の夏にたまたま軽井沢を訪れ滞在する。暑い東京と比べてあまりの居心地よさに翌年も友人たちを引き連れてやってくる。実は江戸時代から外国人の間では夏の軽井沢は避暑地として既に名が知られていたらしく、英国の外交官がガイドブックに夏の避暑地として紹介していたようだ。ショーはこれを見たのではないかと言われている。ショーは1888年に地元の現つるや旅館の佐藤氏の仲介で軽井沢の地に初めて別荘を建てたのだ。それは今でもショー記念礼拝堂の裏に移築復元されており、見ることができる。
 ちょうどこの頃鉄道が軽井沢に達して軽井沢駅もでき、数年前に既に開通していた現国道18号と共に軽井沢の発展を後押しする。
 1894年には洋式の亀谷ホテル(後の万平ホテル)、1906年には三笠ホテルも開業し、長野県北部の野尻湖、宮城の七ヶ浜町の高山と並び外国人の人気の三大避暑地となる。ジョンレノンが万平ホテルに滞在してたのは有名だが、軽井沢の避暑地別荘地としてのルーツは外国人によるものなのだ。ショーが宣教師だったこともありキリスト教関係者も多く集まってきたので教会も多い。軽井沢のちょっと地方の田舎とは一線を画した気品のある独特の雰囲気はこのように造られていったのだと、思わず納得である。

 そして1983年には海軍大佐で後の衆議院議員の八田裕三郎が日本人初の別荘を建てる。ここから軽井沢の避暑地、別荘地としての開発事業の快進撃が始まる。リゾートホテル、テニスコート、ゴルフ場、スキー場、美術館、音楽ホール、ショッピングセンター、新幹線により関東や北陸からも近くて、大自然や温泉などへのアクセスも容易なので今後増々軽井沢の人気は上がっていくことでしょう。
 ただ、冬の寒さにはご注意くださいね。

【REG's Diary     たぶれ落窪草紙  7月16日(月)】

 
 

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