【歴史京都探訪①】東福寺 寺院巡りに基礎知識があればより楽しい
千年を超えて幾多の繁栄や没落を繰り返し歴史の表舞台となってきた古都、そしてそれを感じることができる数多くの旧跡が残る京都。
東山区の寺社仏閣巡り、先ずは東福寺から。京都駅からJR奈良線の東福寺駅で降りて徒歩10分ほど。奈良線は伏見に向かう観光客で混んでいた。
基本事項からおさらい。
東福寺 臨済宗東福寺派の大本山 山号は慧日山(えにちさん)
京都五山の第四位の禅寺 御本尊 釈迦如来
創建 1236年 完成は1255年 19年間かかっている
開山 円爾(えんに) 開基 九条道家
臨済宗は元は中国の禅宗の一つで、栄西によって鎌倉時代に日本に伝えられた。鎌倉、室町の武家政権と繋がり、京都五山、鎌倉五山を生む。足利政権と共に衰退。多くの流派に分かれている。
山号とは寺院の称号。中国で同名の寺院を区別するため地域名や山の名(禅寺は山奥に存在するものも多い)を付けた。宋の時代、寺院は免許制になり、国が管理し、五山十刹など寺格制度で統制を強めた。これが日本へも伝わり、鎌倉五山、京都五山などの寺格が制度が生まれた。山号には仏教用語が付けられることもあるし、山号のない寺院もある。
京都五山は、臨済宗の寺院の寺格で、別格の南禅寺、第一位の天龍寺、第二位の相国寺、第三位の建仁寺、第四位の東福寺、第五位の万寿寺、鎌倉時代の末期に始まり、足利義満が確定した。
開基と開山の違いは、開基が建立にお金を出す人で、発願者である場合も多い。開山は寺院開創の僧侶や宗派であり、寺院の宗教的な象徴となる。開山の円爾は宋に渡った高僧である。
この辺りは今を時めく藤原氏の氏寺法性寺の敷地だったようで、その広さは今の東福寺や泉涌寺も含むという。兵火で焼かれた後、鎌倉時代の1236年に摂政九条道家により藤原北家嫡流のひとつ九条家の菩提寺として建立される。権勢を誇った東大寺と興福寺から一文字ずつとって東福寺と名付けられる。九条道家は鎌倉幕府4代将軍(源実朝の次の将軍)藤原頼経の父親。
この寺の建立に19年間もかかったのは、身の丈五丈(約15m)の大仏、釈迦如来像と大仏殿を造るのに時間を要した。この大仏は何度か火災に遭い再興されるも、1881年(明治14年)の失火による大火で多くの建物と共に焼失した(左手のみ現存らしい)。国宝の山門は難を逃れた。
紅葉が美しく、大自然と共に存在し、いくつかの庭園やお堂も風情があり、半日はここでのんびり至極の時を過ごした。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 2月12日(月)】
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