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【東京ノスタルジー①】池袋

 若い頃、池袋の周辺で7年間ほど暮らしておりました。あまりウキウキするような思い出はありませんが、今でも上京すると池袋に泊まってしまいます。
 当時から渋谷、新宿、池袋は盛っておりました。東京駅と上野駅は外への玄関口ではありましたが、私鉄の乗り入れも多く、乗り換えのターミナルとして発展したと思われます。しかし、渋谷と新宿と比べると池袋はちょっと異質な感じがしました。

 歴史的背景かもしれません。よく聞くのが巣鴨プリズンの存在です。巣鴨というとお年寄りの原宿、地蔵通りを思い浮かべますが、巣鴨プリズンの跡地にサンシャイン60が立っているのは有名な話。昔はこの辺も巣鴨だったようですが、後に東池袋に町名が変更されています。ここにはもともと監獄があったのですが、戦後戦犯とされた人々が収監され処刑された場所として知られています。
 また江戸時代に、この辺りには板橋宿へ向かう道があり、夕方遊びに出る人の懐を狙い、辻斬りや追い剥ぎが出たらしく、今でも駅の近くに供養の四面塔や稲荷社が残っています。再開発で動かしたら、不可解なことが起こり、元に戻したという話もあります。

 昔は北口辺りには怖いお兄さんたちがいました。芸術劇場はまだ無くて、IWGPより前の話ですが。近年にも通り魔や車の暴走など事件もありましたね。歌舞伎町やセンター街など、大都会はどこもそういう側面を持っています。

 かつて池袋駅は品川と赤羽を結ぶ品川線と池袋と田端を結ぶ豊島線の分岐点とされ、今も山手線の重要拠点です。1914年に東上鉄道、翌年武蔵野鉄道が乗り入れます。東武東上線と西武池袋線の前身です。1954年に地下鉄丸の内線、1974年に有楽町線が開通し、乗り換え駅として発展します。ここでもう一つ発展の要素としてターミナルデパートがあります。
 これも紆余曲折がありますが、私が知ってるのは西口に東武、東口に西武、ホントにややこしい、そして若者文化の中心地池袋PARCOでした。池袋が一号店であり、どれだけ足を運んだことでしょう。
 現在は埼玉、上野、東京、横浜へもアクセスが便利になり、再開発の計画もいろいろ出ています。西口にあったマルイがなくなってしまったのが残念です。
 東京にもホームグランドがあるのはありがたい、ほっとする街なのです。

【REG's Diary           たぶれ落窪草子    3月8日〔金)】


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