伊勢神宮 いにしえから日本の象徴的な厳かな存在
伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社で周辺にある125社の総称とされる。正式名称は「神宮」なのだが、他の神宮と区別するために地名の伊勢を付けて、「伊勢神宮」と称される。
名前に神宮がつく神社は、皇室の祖先を祀るものが6社、天皇を祀るものが13社、他にも皇室と関わりの深いものが6社ある。以前は台湾、中国、朝鮮にもあったが既に廃社となっている。
神社本庁の本宗とされ、全国8万社の神社のトップに立つ。
皇室の先祖とされる天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と天照大御神の食事を司り衣食住の神とされる豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)が中心となる。
第11代垂仁天皇の時代に伊勢の地に天照大御神が祀られ、第21代雄略天皇の時代に豊受大御神が祀られる。
第10代崇神天皇の時代までは、天照大御神は天皇の側で祀られていた。崇神天皇の時代に疫病が流行り民の半分が亡くなる。これを治めようとした崇神は、天照大御神と倭大国魂神を宮中から出して祀ることにする。倭大国魂神については諸説あって興味深いが、伊勢神宮からは話がそれるので今回はやめときます。
崇神天皇は天照大御神を娘の豊鍬入姫に託して笠縫邑で祀らせた。笠縫邑がどこかは諸説あり定まってはいないようだ。豊鍬入姫はより良い鎮座地を求めて各地を転々とする。第11代垂仁天皇の娘である倭姫がこれを引き継ぎ、二人で90年をかけて現在の地にたどり着いたとされる。二人の姫の巡業先は14カ所にものぼるという。実際には天皇の三種の神器のひとつ八咫鏡を祀る場所を探していた。天照大御神の御神体とされる八咫鏡は神宮の内宮に奉安されている。八咫鏡はもうひとつあり、それは皇居の賢所にあるという。伊勢神宮の御神体をかたどって作られてものであるが、こちらが安徳天皇と壇ノ浦の海中に沈んだが回収されたものらしい。
伊勢神宮にも不思議な話は沢山ある。
20年に一度の式年遷宮、心御柱の話、おみくじが無い、御賽銭と私的な願掛けについて、太平洋戦争時に無傷だった話、他にも書くと怒られそうな話も沢山あるが、それが古い歴史の証でもある。
五十鈴川のほとりの厳かな社は、凛として日本人である事を想い起こさせてくれる。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 5月3日(金)】
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