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我儘と我慢と・・・年取りたくねぇなぁ

 人間と言うのは基本的に我儘な本性を持っている。それが一端許されると、それは宇宙の如く徐々に膨張を始める。それが許されないと今度は何とか膨張の道を探り始める。相手の反応を見たり、自分の身の丈を計り直したり、膨張の為のタイミングや具体的な次の一手をごそごそと模索してみる。諦めると言う選択肢もあるのだが。でも、言わせていただくとこれはかなり良心的な行為で、世の中には周囲はお構いなしの我儘ビッグバンをいきなり炸裂させる大人もおいでになる。
 この我儘というのは後天的な影響が強く作用する場合もある。幼い頃は皆我儘だったと思うが、その我儘を周囲がどれだけ許すか、それにより幼い頃の我儘がどれだけ残るのかを決める要素になることもある。まぁ今までは成長の過程で痛い思いをしながら矯正していく時代でもあったのだが、今はどうなのでしょうね。
 私の周囲に茄子を食べられない友人が何人かいるが、皆大店の御子弟である。こう言う時代なので嫌いなものを食べることもないし、批判するつもりは毛頭ない。自分の身を振り返ってみると、ウチは公務員で裕福ではなかった。私も茄子はあまり好きではなかったが、そんなこと言ってるとおかずが無い、と言うことにもなるのだ。食べてるうちに慣れてくる。今では大好物の一つである。どっちがいいのかは本人次第ということかな。これって多様性??
 我慢をすることも大切なのだが、我慢ばかりしていると自分が無くなってしまう。世の中には悪い奴もいるので、人に我慢をさせといて、のうのうとやりたいようにやろうとする奴もいる。そんな奴のためにしなくてもよい我慢などするつもりはない。大人の都合でそうはっきり言えないケースもないわけではない。
 年をとってくるとだんだん図々しくなるのも否めない。長く生きてくると神経も図太くなってくるし、人の目も気にならなくなってくる。どうせ死んじゃうんだしまで行くと大変なのだが。ただ正直あまりみっともないことはしたくないと思う。気持ちが良くない。
 自分の我儘も相手の我儘も、相手の我慢も自分の我慢も、ちゃんとわかって大事にできたらいいなと思う。どうせ死んじゃうんだし。ありゃ!
【REG's Diary    たぶれ落窪草紙  2月14日(水)】
 

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