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楽しく過ごすことを考えることが楽しい。ホントかぁ
楽しく過ごすことを考えることは、精神衛生上重要事項と考える。
そもそも人生とは面白くないのが前提、様々な制限の中で、周囲との軋轢を感じて、自分の希望は叶わず、我慢と言う籠の中で、平々凡々な毎日を繰り返していく。だいたいこんなことを書いてる時点でアウトな気がする。
若い頃は夢も見るが、金もないし暇もないし実力もない。夢すら見ない人達もいる。自分の自由になるお金ができてくると、要領よく時間を作り遊びも覚えてくるのだが、そのうち家族ができると、別の忙しさがやってくる。仕事は年を取ってくると其れなりの責任を負わされ、また考えなきゃいけないことが増える。仕事を退職する頃には、小金もたまり家族も自立し自分の好きなことができると思いきゃ、急にあちこちの部品が経年劣化を初め、気力すらも衰えてくる。そんなこんなでバタバタ足掻いているうちに人生は終了となる。
いろいろと考えあぐねることなく、ただ目の前のことに忙しくして時を過ごす方が幸せなのかもしれないとも思う。
そのうち人は楽しく過ごす方法を姑息な手を使っても考え出す。毎日やらなければならない仕事や勉強そのものに楽しさを見出す。たいていこの方々は出世していく。出世すると収入が増えるので、そのお金をうまく使って、また世の中の仕組みもうまく使って楽しいことをしている。
時間もお金もそこそこある人は、そこそこ楽しいことを探して気を紛らす。割合からするとこのパターンの人が一番多いのか!?
挙句の果てには自分より不幸な人をみて楽しくなる奴、人が困ると楽しくなる奴、楽しいと自分自身に言い聞かせて納得する悲しい人もいる。
人それぞれだからいいけど。
達成感を得たり、周囲と盛り上がれたり、自分が高揚することに遭遇したり、些細なことでもそんな瞬間は楽しいと思う。小市民的で、安上がりで、短絡的ではあるけれど。
最近はつまらないことも、どうすれば楽しめるかを考える。達成感を得るには目標が必要だし到達する努力も要る。盛り上がるには相手のことも思いやらなければならない。自分の高陽できるポイントをよく理解し、探し回らなければならない。今、これも楽しいじゃないかと自分を説得している。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 2月11日(日)】
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