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昭和のオヤジの教育への想いと空回り

 人は働かなければならない。生きていくには金が必要だ。ご飯を食べたり、住居や身なりを整えたり、家族の面倒をみたり、税金も払わなければならない。年金の問題もクローズアップされるが、何歳まで生きるかわからないし、将来お金がいくら必要なのかもよくわからない。とはいえ備える必要がある。あしながおじさんが面倒見てくれるわけでもない。
 考えてみるととても怖いことだ。お金に余裕がないと人間の思考回路は荒れていく。自分のやりたい事や夢を実現することもできない。もっと言うとお金大好きな人種もいるので、人が汗水たらして稼いだお金を横取りしようとする鬼もいるので気をつけたい。鬼にはこちらも鬼で迎え撃つ。

 確かな記憶ではないが、今から15年くらい前からだろうか、小中高の各校で不登校の学生が増え始めてきた。教育関連の新聞や雑誌ではかなり話題にになっていた。その急激な増加ぶりは目を見張るくらいの勢いだったと記憶している。子供が弱くなったとかそれをコントロールできない家庭教育力の機能低下、教員を含めた学校教育制度の見直しなど取りざたされたが現在もその傾向は続いているようだ。それはニートいう本人にも社会にも何の利益をもたらさないモンスターを生んでいく。家庭も学校も危機感を覚えて様々な改善策を試みている。しかし、環境の変化はとても大きい。ネットやスマホ、AIなど今までにはありえなかったこれまたモンスターたちがひしめき合う。味方にすればかなり強力なバディになってくれるが、敵にしてしまうと厄介この上ない。教育とかも本当に難しい政策で結果も数十年経たないと良かったのか悪かったのかの判断がつかなかったりする。子育て世代や教育現場のご苦労には頭が下がる。

 国をつくっていくのはやはり国民で、国民の賢さが将来何が起こるかわからない複雑な国際社会を生き残っていく最大の力となると思うのだが、まさに子供への教育がその根幹をなしていく。国政は教育問題にもっと早く熱い想いでヴィジョンを持って取り組んでほしいと願うばかりだ。

 私のような考えも古いのかなぁ。なんか現実とはかけ離れてきているのかなとも思う。いつの時代も年寄は変わりゆく世に歯がゆさを感じていたに違いない。

【REG'S Diary    たぶれ落窪草紙  6月30日(日)】

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