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軽井沢物語

 軽井沢という地名は東日本中心にいくつも存在する。とはいえやはり一番有名なのは長野県の東に位置するリゾート避暑地であろう。軽井沢は長野県に属するが、実は東京の植民地であるなどとよく言われたものだ。
 若い頃、たがみよしひさ氏の「軽井沢シンドローム」を読んでいたっけ。
 別荘地としても有名で、軽井沢という名をつけると土地の値段が跳ね上がるという事実もあった。実際は長野県北佐久郡軽井沢町を指すのだが、御代田町を西軽井沢、長野原町を北軽井沢、嬬恋村を奥軽井沢、安中市を東軽井沢と呼んだりする。御代田町以外はすべて群馬県なのだが・・・。

 浅間山一帯は火山地帯であり、太古からその影響を受けて、碓氷峠などを含む周囲の険しくて複雑な地形を形成してきた。
 関東への交通の要所として縄文、弥生、古墳時代に渡り村落があったとされ、町のあちこちで遺跡が発見されている。後の東山道もここを通った。
 長野県東部は武田騎馬隊で名を馳せる馬の産地として名高い。平安初期には軽井沢一帯にも広大な牧場があったとされる。
 そして真田が活躍する戦乱の世に至るまで、やはり関東への交通の要所として碓氷峠や軽井沢の名前は有名武将と共に歴史に登場してくる。
 江戸時代には五街道のひとつ中山道の宿場町として繁栄した。旧軽井沢の軽井沢宿、中軽井沢の沓掛宿、信濃追分の追分宿を浅間三宿とし数百の宿屋があったというから、従業員も利用者を含めるとその賑わいぶりが伺える。

 江戸時代に軽井沢を悲劇が襲う。1783年7月に浅間山が大噴火を起こす。
壊滅的な被害を受けた群馬県の嬬恋村や我妻川、利根川などでも洪水をおこし、火山灰は江戸まで達したという。農作物への影響も大きかった。
 軽井沢にも大量の焼石が降り注いで火災を引き起こし、噴石物は2mにも及んだという。軽井沢宿の人々の混乱ぶりを描いた絵画が残っている。

 軽井沢は景色が良いことでも知られ、清らかな水も有名である。明治天皇の巡行の際にも重用され、華族や宮家の御膳水としても使用された。

 明治時代に入ると宿場町は日本から姿を消していく。軽井沢も一時は衰退するのだが、ここから避暑地、別荘地としての快進撃が始まる。

 今日はトランプ氏が銃撃されたり、「光る君へ」も衝撃展開でちと疲れてしまった。軽井沢の快進撃のお話はまたにしよう。ごめんなさい。
 ではおやすみなさい。

【REG's Diary  たぶれ落窪草紙   7月14日日曜日】

 







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