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現天皇陛下は126代、過去の天皇は124人?2人が2回即位?しかも女性??

 現在の天皇は126代ということは昨日書いたのですが、過去に126人の天皇がいたわけではありません。天皇を2度務めた人が2人いるので、実際は過去に124人の天皇がいたということです。天皇を退位したお方が再び天皇になることを重祚といいますが、重祚されたお方が2人いたのですね。因みに天皇に3度以上即位した例はありません。

 しかし、126代の長きに渡り続いてきた天皇制において、重祚というケースが存在しながら2例しかないことは不思議でもあります。飛鳥時代と奈良時代に1例ずつあるのですが、お二人とも女性なのです。

 まずは皇極天皇、私が現在、最大の関心を寄せている歴史上の人物です。

第35代皇極天皇(史上2番目の女帝) 在位642年-645年 即位前は宝皇子
 父親は敏達天皇の孫、茅渟王。母親は欽明天皇の孫、吉備姫王。
 宝皇子は天皇二人の曾孫、近親婚の時代ですがこの上ない家柄です。

 日本書紀によると最初に結婚したのは高向王で、漢皇子を産んでいます。
 高向王は用明天皇の孫(子という説も)ですが、子の漢皇子と共にその後の史料がないのです。ただ、高向や漢の名前から蘇我氏との強い繋がりが伺われます。前夫と子供に何があったのかわかりませんが、宝皇子は第34代舒明天皇と結婚し皇后になります。舒明天皇はこの時期に権力を把握していた蘇我氏の傀儡とも言われています。

 宝皇子と舒明天皇との間に3人の子が生まれます。中大兄皇子(天智天皇)、間人皇子(孝徳天皇の皇后)、大海人皇子(天武天皇)、改めて並ぶと圧巻のスーパースター達ですね。641年に舒明天皇は崩御されます。

 後継ぎが決まらず、642年皇后宝皇子は皇極天皇として即位します。
 そして実権を握ったのが大臣蘇我入鹿。入鹿は次期天皇候補の聖徳太子の嫡男、山背大兄王を自害させ、その専横ぶりが周囲の反感を買います。
 645年に乙巳の変勃発、皇極天皇の目前で、中大兄皇子、藤原鎌足による蘇我入鹿殺害、入鹿の父蝦夷の自害で蘇我氏は滅亡に追い込まれます。

 皇極天皇は退位し、弟を36代孝徳天皇とし、娘を天皇皇后としたのです。 
 息子の中大兄皇子は皇太子となり、藤原氏の祖の中臣鎌足と大化の改新を進めるのです。天皇候補になりそうな舒明天皇と蘇我系の母親との子、古人大兄皇子や孝徳天皇の子、有馬皇子も謀反の罪で殺害されます。

 蘇我氏の権力を思い切り使って地盤を固め、蘇我氏を滅ぼして、天智・天武系の天皇時代に切り替え、藤原氏の台頭へと時代が変わる時期でした。

 この後孝徳天皇の崩御後、重祚して再び天皇として即位する。
 第37代斉明天皇 在位655年-661年 
 蝦夷平定や朝鮮半島への軍事介入に関わる。661年九州北部で崩御。
 恐るべし皇極天皇。
【REG's Diary    たぶれ落窪草紙  3月24日(日)
 
 
 

 
 


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