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ものがたちデザイン

大学時代にお世話になった先生からお声かけいただき、母校の国文学会の会報に寄稿した。

フリーランスのデザイナーになった直後に執筆したエッセイ。
最初の気持ちをこれからも大切にしたいと思い、ここに残しておくことにしました。

ものがたちデザイン

2022年4月1日、私はフリーのデザイナーになった。
もちろん、美大や専門学校に通っていたわけではない。私は龍大文学部卒だ。とは言え、後悔はしていない。
むしろ文学部でよかったと思っている。文学部を選んだ理由からはじめると長くなるが、簡潔に言うと、私なんかがクリエイターになれるわけがないとずっと諦めていたのである。

さて、在学時、私は近代文学研究をしていた。だが、正直に言うと近代文学に興味があったわけではない。2回生の基礎演習で澁澤龍彦の「鳥と少女」を研究し、絵画が登場する作品の研究であれば楽しめる、そう気づいたのである。「よし決まり! 近代文学!」そんなノリでゼミを決めた。友達はみんな「正気か?」という顔で私を見た。なぜなら当時、近代文学ゼミは厳しいことで有名だったからだ。

噂通り、越前谷先生(私が卒業すると同時にご勇退された)は厳しかった。課題に追われる日々を過ごした。正直、課題をこなすだけで精一杯だった。ところが、コロナ禍をきっかけに時間に余裕ができた。それで卒論執筆の傍ら、本格的にデザインの勉強をはじめた。そうしてはじめて、文学研究とデザインの過程が似ていることに気づいたのだ。

当たり前を疑えなければ新しいアイデアは生まれない。
情報収集力がなければ顧客の希望を取りこぼしてしまう。
言語化できなければデザインに説得力は生まれない。

あれ、もしかして、文学部って強いのでは? そう気づいてからは早かった。先生には感謝している。

そんなこんなで私はデザイナーになった。
屋号は「ものがたちデザイン」。
私の仕事は、デザインを通して、誰かのものがたりが始まるきっかけをつくることだ。
だから別にグラフィックデザインに限る気もない。なんでもやりたい。企画することだってデザインである。私は文学部卒だ。普通に闘ったって勝ち目はない。私には言葉がある。越前谷先生がよくおっしゃっていた。「先行研究と同じ土俵で闘うな」と。
私は誰かの劣化版にはなりたくないのだ。

(本学2020年度卒業生、デザイナー)
「龍谷大学国文学会会報」第29号  ( 2022.8、p.2-3 )


実は、私はもともと美術の教師を目指していた。
幼い頃から絵を描くのが好きで、将来は絵に関する仕事がしたいと思っていた。
安定した職に就こうということで、教師になろうと思った。
だけど、人の絵を評価することはなんか違うなと思う自分もいて、結局現役時代にやめてしまった。

それなら国語の教師になろうと思った。
いつも私がつまづいたときに助けてくれていたのは国語の先生だった。語彙力を養って、言葉を味方につけられるようになったら、いつか私みたいな子を助けられる。そう思った。

だけど、文学研究を通して、結局、国語の先生も作品の読み方を制限してしまう可能性があることに気づいた。なんだ美術の先生と一緒じゃん。やめよう。

それなら、今度は何を目指そう。
本当はもうわかっていた。結局私はクリエイターでいたかった。だけど自信がなかった。
そんなときにとある曲に出会った。その曲のおかげで今の私がいる(長くなるので割愛)。

そんなこんなで結局、回り回って本当にやりたかったことをやっている。

自分のデザインを求めてくださる方がいる。
絵はほとんど描くことはなくなったけど、自分が描いた言葉に共感してくれる人がいる。

安定はしていない。
それでもやっていきたいと思う。


これからも。


私の仕事は誰かのものがたりが始まるきっかけをつくることだ。


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