大学時代にお世話になった先生からお声かけいただき、母校の国文学会の会報に寄稿した。
フリーランスのデザイナーになった直後に執筆したエッセイ。
最初の気持ちをこれからも大切にしたいと思い、ここに残しておくことにしました。
実は、私はもともと美術の教師を目指していた。
幼い頃から絵を描くのが好きで、将来は絵に関する仕事がしたいと思っていた。
安定した職に就こうということで、教師になろうと思った。
だけど、人の絵を評価することはなんか違うなと思う自分もいて、結局現役時代にやめてしまった。
それなら国語の教師になろうと思った。
いつも私がつまづいたときに助けてくれていたのは国語の先生だった。語彙力を養って、言葉を味方につけられるようになったら、いつか私みたいな子を助けられる。そう思った。
だけど、文学研究を通して、結局、国語の先生も作品の読み方を制限してしまう可能性があることに気づいた。なんだ美術の先生と一緒じゃん。やめよう。
それなら、今度は何を目指そう。
本当はもうわかっていた。結局私はクリエイターでいたかった。だけど自信がなかった。
そんなときにとある曲に出会った。その曲のおかげで今の私がいる(長くなるので割愛)。
そんなこんなで結局、回り回って本当にやりたかったことをやっている。
自分のデザインを求めてくださる方がいる。
絵はほとんど描くことはなくなったけど、自分が描いた言葉に共感してくれる人がいる。
安定はしていない。
それでもやっていきたいと思う。
これからも。
私の仕事は誰かのものがたりが始まるきっかけをつくることだ。
終