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「8歳で80年生きた天使」プロジェリア症候群の娘と生きた8年  No.3

1年3ヶ月の入院生活で感じた多くのこと 

生後2ヶ月から入院生活を送っていたりさにとって、面会時間だけに会いに行く私を自分の「ママ」と感じてくれてるのか…
看護師さんと過ごす時間の方が長い生活。
私が面会から帰るときも、後追いしないりさ。
後追いされるのも辛いけど、私は時間になったら帰ってしまう人と理解しているのだろうと思うと寂しかったです。
りさはベットにいて私は椅子に座っているというスタイル、少し大きくなってきてからはちょっとの時間は病棟内を抱っこして歩いたり、お風呂に入れたり出来ました。
でも、私が一番したかったことは、りさと一緒にゴロンと横になって遊んだり、一緒に床に座って遊ぶことでした。
それから手作りの離乳食を作って食べさせたり、公園にお散歩に連れて行ってあげたかったです。
こんな風に、普通だったら当たり前のことが、この病棟にいる子供たちや両親にはとっても大きな幸せなことなのです。
普通の生活の中にかけがえのない幸せがあることを、私は人生で初めて感じました。

りさの病状は依然として「皮膚が硬く、呼吸数が多くて体重の増えが悪い」
でも、原因も病名もわからない…
どうなるか全くわからない状態が続きました。
そして特に、大きな治療もなく、いつも不安でした。

今思えば、「プロジェリア」は800万人に1人のとてもとても少ない症例だから
わからなくて当然だったのかもしれません。
その頃の私は、まさか娘がそんな大変な病を抱えて生まれてきてくれたなんて思ってもみませんでした。

発育はゆっくりでしたが、寝返り、つかまり立ちなどができるようになると看護師さんが教えてくれました。
「ママがいる間にやってくれるといいよね」と看護師さんも私に気遣いをしてくださって、りさがベットの柵につかまって立った時はみんなで大喜びしたのを良く覚えています。

当時はただただ必死でしたが、今振り返ると本当の幸せ、生きることの意味をりさは小さな赤ちゃんの頃から私に教えてくれていたのです。

病棟にもすっかり慣れて子供たちとも仲良くなってくると…
面会に行った時、りさのベットの周りで数人の子供たちが遊んでくれている時もありました。
心優しい子供たちに私はたくさん助けられました。
そしてある雨の強い日に、私が帰ろうとした時です。
前のベットの5歳の男の子が、私を手招きして呼ぶのです。
「なあに?どうしたの?」と近くに行ったら…
「赤ちゃんママ、雨がたくさん降っているから気をつけて帰ってね」と言ってくれたのです。
その男の子は「小児ガン」でした。
抗がん剤で髪も抜けてしまい辛いのに、私を気遣ってくれたのです。
病棟の子供たちは、私よりずっと精神性が高くて多くの愛をもらいました。

しかし、この病棟の子供たちは重い病気を患っているのです…
いつ急変してもおかしくないのです。

その心優しい5歳の男の子は、その出来事があってから間もなく天に還ってしまったのです。
今でも顔をはっきり覚えています。
その時の光景も忘れていません。

神様はなんでこんなことをするのだろう…
悪いことをしながら生きてる大人もいるのに…

生きたくても生きられない子供もいるという現実を目の当たりにして、私の人生観は変わりました。
受け止めきれない現実を、必死に受け止めようとしていました。

それからも、りさが入院していた間に何人もの子供達が天に還って行きました。

命を一生懸命燃やして生きている子供たちと私はたくさん出会いました。
そして娘のりさも命を燃やして生きていたのです。

しかしその頃の私は、まさかりさがたったの8年で天に還ってしまうなんて、本当に思いもしていなかったのです。

次回に続きます。




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