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また小さな願いが叶って嬉しい

ようやく行くことが出来ました。

何年か前から止まっていて、本当はずっと行きたかったけど、コロナ禍になったりその後もタイミングが合わなかったりでずっと行けませんでした。

で、今日ようやく。
ホントのところ、今日は予定が立て込んでいて行こうかどうか少し迷ったけど行きました。
だって今日行かないと次のチャンスがいつになるか判らないから。


で、何を?


そう、御朱印を頂きに。
(ちょっと偉そうに言ってみた、笑)


元々神社やお寺へお参りする機会が割とあったのだけれど、最初は御朱印を頂くことはしていませんでした。
参拝しておみくじを引いて帰る、年頭に御守りやお札を買う、車を買ったら安全祈願、子供の受験合格祈願、そんな感じ。
(特に信仰心が高いとかではなくて、よく言う神頼み、縁起物、そういう意味で世間一般の方々と同じレベル)


所謂「御朱印ブーム」にも乗ることもなく。


でもある時、突然思ったのです。


御朱印欲しいな


別にスタンプラリーを目的にするようなことではなく、参拝した記憶をちゃんと残したい、振り返ることが出来るようにしたいと思ったのです、何となく、どういうワケか。
何かきっかけがあったワケでもないのに。


とにもかくにもそこから御朱印を頂くようになりました。

最初の御朱印は箱根神社。
だから御朱印帳も箱根神社で購入。
御朱印デビュー記念です。


何故なら箱根神社は節目節目で行く機会が多かったのでまあ自然な流れ。
(行来の時間はそれなりに掛かりますが…)
御朱印帳が箱根神社のものになったのは幸運なのかな、とも思う。
パワースポットとしても有名、らしいから。
(その時は世の中には色々なデザインの御朱印帳があることを知らなかっただけ)


で、そこから御朱印のことを色々と調べるようになりました。
(順番違うよね、コレ)


御朱印の意味、何のためにとか、御朱印帳も今やネットで選んで好きなものを購入できるし、神社と寺院では分ける方が良い説があるとか無いとか。
(ちなみにミーハーで他者に振り回されやすい自分は御朱印帳は漏れなく神社用と寺院用に分けましたよ、と)


まあ調べると色々出てきた。
その中で御朱印にも色々とあることが判ってきて。


そうなるともっと調べていくことで気になる神社、寺院、御朱印も現れる。調べれば調べる程に。
いつかその気になった神社、寺院を訪問して御朱印を頂けたら、書き置きではなくて出来るだけ直書きの御朱印を頂きたい、と思うようになった。
もちろん、神社、寺院に行くのは御朱印が目的ではなくて参拝することが大切なのは間違いない。
色々な御朱印があることを知ることをきっかけにしてそれぞれの神社や寺院のルーツみたいなものやどういった神様、仏様がいてどのような願い事が成就しやすいとか、歴史的なこと、とか、などなど。
御朱印はきっかけの一つに過ぎないのだ、多分。


御朱印にも様々あって、多くは筆で書かれており綺麗だったり尊厳が感じられたり、神社・寺院によっては月替わりのものだったり、行事の時限定のものだったり、最近はカラフルなものだったり神社・寺院の個性があったりしてホント色々ある。


そんなこんなで参拝の度に御朱印を授与するようになりました。


たださっきも書いたようにコロナをきっかけにしてからは全然行けなく、行かなくなっていたのです。




前置きが随分長くなったけど、ここから先が今日の出来事。

思い返せば約一週間前、何となくインスタを見ていたら気になっていたお寺で月替わりの御朱印を直書きしてくれる日があるとのこと。
(不定期に書き置きのものが置いてあって対応してくれるのは割とあるけど直書きは月イチ位、かな)
しかも今回は土曜日、10時から。
仕事は休み。
でも昼からは予定がある。


迷った。


でもこのタイミングを逃すとまた先送りになるのは間違いない。

行くことにした。


やっぱり行かないとね。

10時前に現地に到着すると本堂には既に15人位の参拝者が居て御朱印の授与が始まっていた。


お寺独特の雰囲気が良い


先に来ていた方々の様子を何となく確認しつつ、でも勝手がイマイチ判らず少しオロオロしながらも本堂へ入っていく。
本堂には腰掛けが用意されて並べられており、その列の最後に座って待つことに。多分ここに座れば良いと思われ。

少しして心なしか落ち着いたところで周囲を見回すと皆さん当たり前だがそれぞれ御朱印帳をお持ちになっおられる。
あ、ガン見していたわけではなく見えたのです。視界に入ってきたのです。
中には何冊か持っていらっしゃる方も。
その熱量、想いに軽く圧倒されながらも自分の順番を待つことに。
ちょっと「自分がここに居ていいのかな?」なんて思いながらも。


待っている間、時々御朱印を書いてらっしゃるご住職と参拝者との会話が聞こえてくる。
何度も訪れているような方も多いようで日常的なことや仕事のこと、高校生と思われる学生さんとの進路の話、友人や子供、お孫さんとのやり取りの話など。


人生色々だなぁ、と思った。
みんな色々と悩んでいるんだなぁ、と。
良いことも悪いことも、上手く行くことも行かないことも、色々ある。


ご住職の言葉はね、ものすごく的確なんだけど、だからと言って高圧的なものとか見おろしているとかいう言葉や言い回しではなく、端から聞いているだけの自分にも染み込むような柔らかい言葉がたくさんあって。寄り添うような感じ。じんわり伝わってくる。
聞いている自分の気持ちが和んでいくのが自分でも判る。
お寺の独特な雰囲気のせいもあるかもだけど、張り詰めていた気持ちの糸が緩んで肩の力が抜けるって言うのかな。


こういうのは良き。


心が洗われるとはこの事だ。
そのやり取りをしている空間に一緒にいることがとても有意義に感じられる。

待っていた時間は二時間近くあったけど、長いと思うことはなく、色んな事を感じることの出来る充実した時間だった。
(スマホは触らずにいられた)

自分の順番になって御朱印帳に書き入れて頂く。
ご住職の持つ筆は流れるように進み、次々と文字が綴られていく。
悠然としていてしなやかで、急いでいるわけではないのに速やかに。
言葉が出ない。自然と見入ってしまう。


そんな中、ご住職と少し会話をさせて頂く。


初めて参拝したこともあり、他の方ほどやり取りする量が多いわけではなく、ほんの一言二言だったけど、とてもありがたいものに感じられた。
こうした心配りは嬉しい。


書き終えた御朱印帳をご住職から受け取り、お礼を述べて本堂を出た。


やっと念願が叶う!今回は6月の御朱印!


頂いた御朱印は期待していたものよりずっと良いもので、感動してしまうものだった。
実際に書き入れて頂いている時には自分のテンションが高まっているのも感じたし、鏡があったワケでもないのに嬉しいのと達成感が得られたのもあって表情が緩んでいったのも判っていた。


思っていた以上に良い時間だった。足を運んで良かった。

もっと早く来れば良かった、と少し後悔する。


でも、その気持ちになれたのは実際に今日参拝して御朱印を授与したから。
ある意味「して良かった後悔」なんだと感じる。


他にも行きたい神社、寺院はたくさんあるからまだまだ楽しめそう。


こうしたことは積極的に行って、これからも楽しもうと思う。
ストレス発散、自己研鑽にもなる。



そして今回もずっと秘めていた小さな願いが叶った。これが嬉しいね。

もっと自分のための時間を大切にしたい。


今回参拝したのは静岡市清水区にある
宝積寺(ほうしゃくじ)さんです。


ご住職のインスタもあります。
こちらもオススメ。


興味があるnoterさんは是非!



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