なぜ作品にコンセプトが必要なのか

これは仮説です。

作品を作る際にコンセプトはあったほうが良いと、漫然と考えているのだけれど、「それは、なぜ?」と考えるとむずかしい。
コンセプトというのは、考え方やルールなどの一貫性のことを指します。
ある意味、「縛り」ともいえます。自由につくればいいじゃないか。なぜわざわざ、そんな縛りのようなことをするのでしょう?

あなたは、なぜ、作品に「コンセプト」というものが必要だと思いますか?

良い作品をつくる

良い映像作品をつくるには「誘集中力」と「最高点」を設計する必要があります。「誘集中力」については以前書きました。

「最高点」というのは、作品の中でどの瞬間にいちばん強く気分が動くのかです。最高!って思う瞬間。なので最高点。
パッと見た瞬間なのか。それともオチサビなのか。ラスサビなのか。どのタイミングで最高点を出すのか設計します。


いきなりですが図を描きます。

コンセプトがゆるい一般的な作品


コンセプトがうまくいっている作品


誘集中の力が弱い作品

コンセプトがある作品には一貫性があります。それは、そこまで見てきたものを「引き継ぐ」ということです。それによって上がった気分が単発で終わらない。前の良かった記憶を引き継ぎ、次の良さにバフをかけます。
単なるミニゲーム集とメイドインワリオの違い。

その引継ぎによって「最高点」の値が、より高いところに到達する。
そう考えるとコンセプトは「縛り」ではなく「追い風」です。
もし、縛りのように感じるのであればもう少し練ったり視野を高くしても良いかもしれません。


シリーズものや特定のアーティストの作品であれば、前作の良さも引き継ぎます。コンセプトについて書かれたサブテキストや文化背景などがあれば作品の楽しみはさらに続きます。「作家と作品」以上の広がりがそこに発生するでしょう。

映像作品に限った話ではありません。
告知画像のようなグラフィックデザインであっても、
パッと全体を見る、一番大きなロゴを見る、写真の人物を見る、小さな文字情報を見る
と、順を追って見ているはずです。
イラストにもレイアウトというものがあり、レイアウトとは視線誘導の設計ですから、これも同じです。

以上、仮説でした。
実験出来たらまた書きます。


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