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訪問調査 谷田病院@熊本[Day1-1]

いよいよ訪問調査1日目

前日は熊本市街に宿泊していたので、朝早い時間から熊本大学の医学生の友達が谷田病院まで車を出してくれました(本当に感謝、、!!)

谷田病院に到着すると、早速インタビューです!

この卒業研究で5,6人の方にインタビューをさせていただく予定なのですが、これが初めてのインタビューの機会でした、ドキドキ。。

医師の方にインタビュー

今回インタビューをお願いしたのは、谷田病院の医師の方で、前回ちいここのツアーで1日目に訪問診療に同行させていただいた時お世話になった先生でした。

先生の患者さんやそのご家族に寄り添う姿勢や、チームで一つになって1人1人の患者さんに向き合おうとする姿がとても素敵で、私の目標とさせていただいている方の1人でもあるので、今回インタビューをお願いさせていただきました。

貴重な時間をいただいて
1対1でお話しできるなんとも贅沢な時間…

個人的に、先生の紡ぐ言葉というか表現がすごく好きで、今回0日目の訪問で最初に参加させていただいた緩和ケアカンファレンスで司会をされていた時も、話されることを聞きながら(わ〜その表現いいなあ…)と思っていました。

やはりこのインタビューでも、素敵な表現をたくさんされていて、言葉を丁寧に大事に発することと、患者さんへの真摯で丁寧な姿勢が重なって、なんだか色々と腑に落ちた感じがしました。私の語彙力が足りない…笑

共働

今回のインタビューで印象に残っていることはやはり、チーム医療に関することです。

生死に関わる判断を下す立場である医師が『孤独である』ということ、だからこそ、それぞれの立場で同じく命を救うために共に働く職種が『いないということが考えられない』

お互いをリスペクトして、上下のないフラットな立場で、同じ感覚やお互いの気持ちを共有・理解し合いながら一緒に患者さんに向き合っていくことが、共働であると話してくださいました。

待っているのが死だとしても

0日目の時に書き忘れていたのですが、私が先生の言葉で一番印象に残っているのはこの言葉です。
結構ストレートな表現に感じるかもしれないのですが、私の中にはすごく記憶に強く刻まれていて、3日間で色々と考えが深まるきっかけになる言葉でもありました。

ふとした時に浮かんできたりして
相当印象に残ったんだなあと自分でも不思議なくらいでした。

ここから先は、私が感じたことです。

「待っているのが死だとしても、」
この言葉は治ることのない病気で、もしくは人生を全うしてその幕引きが間近な人の話をしているような表現に聞こえるかもしれません。実際、そんな話をしている時に出てきた言葉でした。

でも、印象に残ったこの言葉を何度も反芻する中で、それだけではないなあと思うようになりました。

私たちの最後には必ず死が待っていて、その時が来るまで良い時も悪い時も自分たちの生活をして暮らしていきます。

待っているのが死だとしても、大変な思いをして勉強するし
待っているのが死だとしても、誰かのために働いたり
待っているのが死だとしても、夢を持つ

極論を言ってしまえば、待っているのがどうせ死なんだったら。って早々に諦めることもできると思うんですよね。(もしかして結構激しいこと言ってる?😅)

でも、しないじゃないですか。
しんどいけど頑張るし、苦しいけど耐えて、泣いて落ち込む時もね、ありますよねえ笑
そういう中で良いことがあって嬉しい気持ちになったり、幸せを感じたりして、ああやっぱ頑張ろ、とか思いながら。
それが生きるってことだと思うし、そこに価値があるのかなぁって

待っているのが死だとしても、自分は何をするのか
待っているのが死だとしても、みなさんは何をしますか?


ちょっと待って

冒頭でも載せた、スケジュールもう一回見てほしい。

えーっと、インタビューの話を書いて…

なんとまだ10:00からの検査科の見学の話も書けてないんですね
これ1日目を最後まで書いてたらとんでもなく長くなってしまうので、ちょっと急遽一旦締めようと思います笑

次の記事に検査科の見学から書いて、多くても3投稿で1日目を書き切ります、絶対。笑
インタビュー調査の分析も今週中にやっておかないといけないし、したい勉強も山積みなので、記事書くのめちゃくちゃ楽しいけどこればっかりやってるわけにはいかないのでね…

というわけで、次回Day1-2で、続きから書こうと思います。
温かい目で見守ってくださると幸いです。。

<本日のつぶやき>
せっかく名古屋で学会あるなら行きたかったな…
去年出会った先生方や医学生のみんなが大集合していてとても楽しそうで羨ましい…


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